上総国分寺~養老川ウォーキング

 今日は市原市役所から上総国分尼寺、上総国分寺、諏訪神社、養老川とウォーキングし、起点の市役所に戻りました。およそ10000歩です。

ウォーキングコース

 市役所の裏側は公園になっていて、そこを出ると「上総国分尼寺」の跡①に出ます。ここには展示館が建てられ、遺跡を復元しているのですが、現在はコロナのために休館中で、復元回廊等の屋外施設へ入る方法が分からなくて断念しました。大通りを渡り市原市民会館の横を抜けると「上総国分寺」の跡に出ます。奈良時代に聖武天皇の詔により各地に建立された国分寺のひとつです。今は公園になっていて、そこに真言宗の「医王山清浄院国分寺」が建っています。Wikipedeiaには次の様な説明があります。

旧国分寺は応永年間(1394年-1427年)頃までの存続は確認されているが、その後は荒廃していた。寺伝では、元禄年間(1688年-1704年)に僧の快応によって再興され、正徳6年(1716年)に現在の薬師堂が落成したと伝える。また、のちに仁王門も設けられた。

薬師堂は、江戸時代の正徳6年(1716年)の建立。堂内の厨子に本尊が安置されている。仁王門は、江戸時代中頃の建立。これら薬師堂・仁王門は市原市指定文化財に指定されている。また仁王門内の金剛力士像は、それぞれ阿形は南北朝時代、吽形は江戸時代の作で、いずれも市原市指定文化財に指定されている。そのほか、境内には「将門塔」と称される応安5年(1372年)建立の宝篋印塔があり、市原市指定文化財に指定されている。

 さて、なにもない野原を歩くと、薬師堂が見えます。更に進むと看板が、そして、少し盛り上がったところがあります。これが国分寺の塔跡です。

公園から薬師堂を眺める
上総国分寺跡の説明板
上総国分寺塔跡

 更に進むと薬師堂の前に出てきます。「将門塔」はこれです。境内には山茶花が咲いていました。椿かと思いましたが、花弁が落ちていたので山茶花です。

将門塔
山茶花が満開でした

 住宅地の中を進み、調整池の横を通って、県道140号の手前まで来ると、「諏訪神社」と案内があり階段の向こうに鳥居があります②。登り切ると社がありました。

村上・諏訪神社

 説明板がありました。この辺りの地名は「上総村上」で小湊鐵道にもその名の駅があります。この村上がこの地を治めていた戦国武将の名前だとは知りませんでした。「村上城」が近くにあることは帰ってきてから知りました。今度行ってみようと思います。

諏訪神社縁起

市原市五井の品野家に伝わる諏訪神社縁起です。品野家には戦国期は上総国村上の諏訪大明神の神主であったと伝えられます。縁起によれば、大永年間に信濃の国に村上義清が領地を与えられ葛尾城を本拠地として信濃村上氏の基盤を築きます。甲斐の国の武田信玄と戦となり、義清は越後(新潟)に逃れます。後に和睦した義清は郎党を引き連れ、村上氏ゆかりの上総国へ来て在城します。その時、義清は信濃に使いを送って諏訪大明神を村上城へ勧請(神霊を分祀すること)します。信濃からは神主を召し連れ、信濃関と改名させ代々仕えたとあります。年号は天文元年(1532)と記されており、義清31歳のときの出来事になります。

 上総村上氏の先祖は、清和源氏である信濃村上氏と関わり合いが深いことを示唆する史料として大変貴重なものです。

上総諏訪神社の説明板より

 諏訪神社から左に折れて進み、右に入って小湊鐵道の線路を渡ります。さらに養老川を目指して歩いて行きます。川が見えました。左手に橋のようなものが見えますが、ただの橋ではないようです。これは西広堰という農業用水や工業用水の取水堰なのです③。

西広堰

 詳しい情報は次をご覧下さい。

養老川の堰 no.482 : 土木の風景
千葉県の養老川には多くの堰があります。 今回紹介するのは中流域の二箇所です。  まず、①は過去に記事にしている「西広堰」です。 西広板羽目堰として市原市指定有形民俗文化財になっています。 航空写真は次の通りです。  そして、文化財の説明は市...

 そしてこの上流にも何かあります。これも堰ですが、こちらは昭和52年まで使われていた昔の堰で、「羽目板堰」という木造の堰です。日本に現存するのは唯一ここだけだそうです。なんともすごいものを見てしましました。

西広の羽目板堰
羽目板堰の説明版

 すぐ側を小湊鐵道が走っています④。鉄道ファンに人気のスポットだそうです。線路を渡りました。踏切も何もありません。線路の上に立って写真を撮りました。なかなか写せない風景だと思います。

小湊鐵道の線路
タイトルとURLをコピーしました