小樽の3日目だ。昨日、小樽の繁栄の話をした。小樽が栄えたのには 3 つの理由がある。第一はすでに述べたニシン漁だ。ニシンで御殿が建つ! だが、昔はそんなにたくさんニシンを食べたのだろうか? いまで「ニシンそば」くらいしか思い浮かばないが… と考えていたら答えが分かった。「身欠きニシン」用は漁獲量の 3 割程度で、7 割は「肥料用」だったという。つまり化学肥料が出回っていなかった頃、ニシンを加工した肥料がよく売れたのだ。第 2 の理由は石炭だ。小樽駅から小樽港の方へ歩いて行くと途中で線路に出くわす。これが「旧手宮線」の跡だ。明治 15 年に「空知」と「小樽」が線路で結ばれ、石炭が小樽港へと運ばれて、ここから日本各地に船で出荷された。これによって小樽は海運の中心地となったのである。さらに、海外(南樺太、中国東北部、欧州)との交易拠点にもなった。これが 3 つめの理由。大正 12 年には小樽運河も完成した。このような背景から小樽にお金が集まった。かくして「北のウォール街」の誕生である。ところが、ニシンが獲れなくなり、エネルギー源も石炭から石油に移行する。そして、栄光の小樽は衰退の一途をたどる。現在の小樽は観光都市として栄えている。数々の倉庫や銀行などの歴史的建造物が空襲をうけなかったため現存し、重要な観光資源となっているのだ。
さてここからが本題である。今日は雨の中を函館本線で余市へと向かった。目的はニッカの余市蒸留所の見学とウィスキーの試飲である。この工場は NHKの連続テレビ小説「マッサン」の舞台となったところである。広島県竹原の造り酒屋「竹鶴酒造」を営む竹鶴敬次郎の三男、竹鶴政孝がスコットランドでウィスキー作りを学び帰国、この地に本格的なウィスキーの蒸留所を作る。スコットランド人の妻リタの視点から描かれる物語である。今も工場の敷地内に二人が暮らした住まいが残っている。


では、なぜ蒸留所は余市に作られたのか? そこにがウィスキー作りに最適な土地だったからである。余市は余市川が海にそそぐ沼地にあり、ウィスキー作りにかかせない冷涼で湿潤な気候と美味しい水があり、ビート(草炭)が採れた。ウィスキー作りはこのビートを無煙炭と混ぜ、これを焚いた煙で発芽した大麦を乾かすところから始まる。スモーキーな香り付けに必須なものがビートなのである。スコットランドによく似た環境の余市でこれが手に入ったのだ。
雨の中の工場見学のあと、ティスティングセミナー(有料:1500円)に参加した。テイスティングの仕方を教えていただき、余市ピュアモルトのもととなっている 3 種のキーモルトをテイスティングして当てるというものだ(ちなみに、残念ながら私は全然ダメだった)。そのあと、有料のテイスティングバーでシングルカシス余市 10 年をいただき、至福の時を過ごしたのであった。


この日は余市の駅で、余市ワインを試飲したり、小樽で小樽ビールを飲んだ。かくして私は昼間から完全な酔っ払いと化した。

