千葉県ぐるっとウォーキング 第8回 ペンション・フローラ~安房白浜バスターミナル

前日(2023 年 2 月 4 日)に宿泊した「ペンション・フローラ」からの出発である。このペンションは「アロハガーデンたてやま」の裏の農地の中にある。昨日、車で迎えに来て貰い、通った細い道を歩いて「アロハガーデンたてやま」の駐車場へ出た。それにしても、この動植物園は広い。約 8.6 ha あるそうだ。これを維持するのは大変だと改めて思う。時刻は 8:28 、さあ、今日は「千倉駅」を目指すぞ! 

写真1 ペンション・フローラ
写真2 アロハガーデンたてやま

 昨夜、宿の Wifi につながったおかげで、スマートフォンの設定が可能となり、今日は外でもインターネットに繋がる。ありがたいことだ。Google Map が使えるのだ。一つ目の安房一宮である「州崎神社」には昨日お参りしたので、今日は最初に、もうひとつの安房一宮である「安房神社」に行こう。Google Map を見ながら進む。途中の海岸で昨日歩いて来た方向を振り返り、綺麗な海をカメラに収めた。おや? 前に島影がある。あれはどこだろう? なにせ目の前は太平洋である。近くには島なぞ無いはずだ。Google Map の地図を縮小してみる。この海岸の先にあるものは? 「大島!」そう伊豆大島が見えているのだ。

写真3 平砂浦海岸を振り返る
写真4 遠くの島影、あれは大島だ

 安房神社は「千葉県立館山野鳥の森」の隣にある。いや逆だ。「安房神社の隣に野鳥の森が作られた」だ。州崎神社の例からみても神社というものは大体において高いところにある。相当を階段を上ることになるのだろうと覚悟してきたが、山の上という訳ではなかったので、たやすくお詣りできた。きれいに整備された神社だ。ホームページによれば、「安房神社の創始は、今から 2670 年以上も前に遡り、神武天皇が初代の天皇として御即位になられた皇紀元年(西暦紀元前 660 年)と伝えられております。神武天皇の御命令を受けられた天富命(下の宮御祭神)は、肥沃な土地を求められ、最初は阿波国(現徳島県)に上陸、そこに麻や穀(カジ=紙などの原料)を植えられ、開拓を進められました。その後、天富命御一行は更に肥沃な土地を求めて、阿波国に住む忌部氏の一部を引き連れて海路黒潮に乗り、房総半島南端に上陸され、ここにも麻や穀を植えられました。この時、天富命は上陸地である布良浜の男神山・女神山という二つの山に、御自身の御先祖にあたる天太玉命と天比理刀咩命をお祭りされており、これが現在の安房神社の起源となります」とある。「阿波」が転じて「安房」となったわけだ。房総には関西の地域の名前が多い。「佐貫町」は四国の「讃岐」、「白浜」「勝浦」は和歌山県、そして「鴨川」は京都だ。上の説明のようにひとびとは船で黒潮に乗り、この地域に移動してきたのだ。そして、新しい地に故郷の名前をつけた。

写真5 安房神社の鳥居
写真6 安房神社本殿

 安房神社を離れて、国道 410 号線を歩き、布良(めら)にでる。布良崎神社の前に「キャンプ・マビナス」へ登る道がある。ここは昔は「安房自然村」があったところで、家族で泊まったことがある。ここも経営難で 2019 年から休業していたが、現在はキャンプ場になっている。国道の右側に「青木繁『海の幸』記念館」の看板があった。青木繁は 1904 年(明治37年)の夏この地域に 2 ヶ月滞在して名作「海の幸」を描いた。22 歳で美術学校を卒業したばかりだった。

ここに来て海水浴で黒ん坊だ。ここは万葉にある「女良」だ。近所に安房神社という官幣大社がある。古い土地だ。
漁場としても有名な荒っぽい所で冬になると四十里も五十里も黒潮の流れを切って、二カ月も沖で暮らして漁をするそうだ。沖ではクジラ、ヒラウオ、カジキ、マグロ、フカ、キワダ、サメがとれる。みな二十貫から百貫(1 貫は 3.75 キログラム)のものを釣るのだ。恐ろしいような荒っぽいことだ。…
雲ポッツリ、またポッツリ、ポッツリ!
波ピッチャリ、ピッチャリ!
砂ヂリヂリとやけて
風ムシムシとあつく
なぎたる空! はやりたる潮!
童謡「ひまにゃ来て見よ、平沙の浦わぁー、西は洲の崎、東は布良アよ 沖を流るる黒瀬川アー
サアサ、ドンブラコッコ スッコッコ!!」
これが波のどかな平沙浦だよ。浜地にはスイカなどよくできるよ。ハマグリも水の中から採れるよ。晴れると大島利島シキネ島が列をそろえて沖を十里にかすんで見える。
それから浜磯ではモクツ、モク、ワカメ、ミル、トサカメ、テングサ、メリグサ、アワビ、ハマグリ、タマガヒ、トコボシ、ウニ、イソギンチャク、ホラノカヒ、サザエ、アカニシ、ツメッケイ等だ。
まだまだその外に名も知らぬものが倍も二倍もある。
今は少々制作中だ。大きい。モデルをたくさん使っている。いずれ東京に帰ってからごらんに入れるまで黙っていよう…

友人梅野満雄に宛て書かれた手紙 「南房総花街道」から

 友人への手紙だが、この地の雰囲気がうまく描写されている。今回は時間が無いので先を急ぐ。更に進んだところで右に入る小道があり、「青木繁記念碑」があった。「海の幸」の説明板もある。見事な絵だと思う。明治の作とは思えない新しさがある。

写真7 青木繁記念碑
写真8 「海の幸」の説明板

 先に進むと「屏風岩」のバス停があり、右手には大きなキャンプ場がある。一方、山側には道があり、入り口が封鎖されていて、周囲にヤシが植わっている。ここになにかあったはずだ。Google Map を拡大すると、建物跡らしきものが描かれている。その時はなんだか分からなかったが、帰って調べると、ここが「ホテルジャングルパレス」の跡地だった。そして、何もない海側の空き地が「白浜フラワーパーク」だったのだ。ジャングルパレスはジャングル風呂で有名で、フラワーパークには行ったことがあった。2020 年 6 月に会社が倒産し、いまは元 ZoZo 社長の前澤さんの所有になっていた。

 海岸に「屏風岩」の看板が見えた。降りる道を探して前に進む。分岐点に出た。前に進むと「房総フラワーライン」、海側の道が国道 410 号線になる。浜へ降りられそうな場所があった。とはいっても、道があるわけではなく、岩の横を降りるのである。降り始めて足が滑った。尻餅をつく。その時、右足を捻った。マズイ!と思ったが、痛みはない。大丈夫だろう。先ほど見た屏風岩の看板のところまで浜を歩く。たいしたことのない岩だが、カメラに収めておいた。あまり無理しちゃいけないと反省。さあ、国道に戻ろう!

写真9 白浜屏風岩

 歩き続ける。自転車道が現れたのでそちらに移る。その道の終点に若い海女さんが立っていた。「若い海女の銅像」である。屏風岩から約 1 時間だ。ちょっと足に違和感が出始めた。捻挫は、やった時はたいしたことないと思っても、だんだん腫れていくんだ。やばいなと思い始めていた。千倉まで歩けるだろうか?

写真10 若い海女の銅像

 「野島崎灯台」が見えてきた。もう少しだ。途中、道の駅に立ち寄り昼食にしようかと思ったが、国道より山側に少し入るのでやめて、灯台のところまで行くことにした。このあたりは岩場だ。歩いてきた方向をカメラに収める。

写真11 野島崎から来た方向を臨む

 灯台の入り口前はロータリーになっていて、数件の食堂が並んでいる。その中の一軒「いそや」さんに入る。日曜日なので結構、混んでいる。「さざえ丼」を注文した。でてきたのを見て、親子丼のさざえ版だと思った。

写真12 「いそや」のさざえ丼

 靴を脱いで、右足の具合を調べる。くるぶしの下が触ると痛い。激痛が走るわけではないが、歩き続けられるか心配になった。先は長いので、無理して本格的に足を痛めるよりは、ここで中断する方がよいかもしれない。バス停の位置を調べる。一本、山側に入ったところに「野島崎灯台口」のバス停がある。時間は? 館山行きが 13:52 だ。その前に 12:02 があったが、これはもう出てしまっている。まだだいぶ時間がある。今のうちに灯台に行っておこう。

 灯台への道の途中に神社あった。「厳島神社」だ。ちょっとお参りしていこう。先に小学生とお父さんの親子連れがいた。鳥居の前の右側に小屋があり、その前でなにか話している。風が吹いて、小屋の前に掛かっている紺色の布がまくれ上がり、中が見えた。おお、立派な男根。「平和の愛鍵に」とある。どうやらこの神社、子宝の御利益があるようである。お父さん、どんな説明をしたのだろう? 興味津々だ。

写真13 厳島神社
写真14 厳島神社にある「平和の愛鍵」

 灯台に着く。料金を支払えば中に入れるようになっている。周囲は公園になっている。結構、人がいた。青い空、青い海、そして白亜の灯台である。今回はここで打ち止めだが、つぎに歩く千倉方面をカメラに収める。

写真15 野島崎灯台
写真16 野島崎灯台から千倉方面を臨む

 バスまでまだ時間があったので、カフェでコーヒーをいただく。Google Map で見ると野島崎灯台口までの歩行時間は 8 分。その先に「安房白浜バスターミナル」があるようだ。どうせなら、少しでも先に行っておこうとそちら目指して歩き出す。13:15 に到着。今回はここでゴール。歩行距離は 16.2 km、歩行時間 4 時間 42 分だった。

写真17 安房白浜駅(バスターミナル)
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