千葉県ぐるっとウォーキング 第12回 鵜原駅~御宿駅

 今回は「鵜原駅」から「勝浦」を経て「御宿駅」に至るコースである。本当は「浪花駅」まで行きたかったのだが、「勝浦」の「八幡岬」で時間を取ったので「御宿」止まりとなった。

 2023 年 3 月 7 日、8:50 に「鵜原駅」に到着。降りたのは 3 組、うち 1 組は若いカップルで大きなキャリーバッグを持っている。駅に観光案内所はあるのだが、まだ閉まっているようで、もちろんのことコインロッカーはなく、彼らはキャリーバッグを転がしての道中となった。どうやら行き先は私と同じ「かつうら海中公園」だ。

写真1 鵜原駅

 前回も書いたが、この辺りは山が海に張り出しており、トンネルが多い。「鵜原駅」から「かつうら海中公園」まででもトンネルが 5 つもある。写真はトンネルの中をキャリーバッグを転がして進む若いカップルである。さいわい車がほとんど通らないので車道を歩いても大丈夫だ。

写真2 鵜原駅近くのトンネル

 すぐ「かつうら海中公園」に到着。いろいろな観光施設が閉じてしまう中、ここは営業を続けている。たいしたものだと感心する。写真中央が展望塔で海中に展望窓があり、海中を泳ぐ魚の姿を見ることができる。周辺には遊歩道もあるが、そこに行くには入場料を払わなければならない。先が長いので今回はパス。さきほどの、若いカップルがキャリーバックの一時預かりの交渉をしていた。この先、どこへいくかは分からないが、勝浦や鴨川でないと荷物預かりは難しいだろう。この辺りは基本、車で来るところなのだ。そういう私は徒歩で千葉県を回ろうという「珍種」なのだが…。

写真3 かつうら海中公園

 先に進むと手掘りのトンネルがある。歩道はないが車が通らないのでなんとかなる。その先が「砂子ノ浦」で文字通り砂浜だ。砂浜の先は山なので、またトンネルをくぐることになるのだろう。そしてまた砂浜。この繰り返しがしばらく続くことになる。

写真4 黒ヶ塙隧道
写真5 砂子ノ浦

 面白い形の岩があった。「尾名浦」の「メガネ岩」だ。波による浸食で岩の中央に穴が開いている。その先のトンネル、これは古いものだ。照明もあまりないので足下に気をつけて進む。その先の小さな浦、いい景色だったのでカメラに収める。さあ、もうすぐ「勝浦」の町だ。

写真6 尾名浦のメガネ岩
写真7 古い手掘りのトンネル
写真8 手掘りトンネルの先の小さな浦

「松部漁港」で国道と合流し、トンネルを越えて「勝浦湾」に入る。広い砂浜が続いている。先ほどから気になったのだが、海の中に人がいる。サーファーではない。何かを採っているようだ。棒で海藻らしきものすくい上げている。3 月からワカメ採りが解禁されるという。残念ながらワカメかどうかは確認できなかった。

写真9 勝浦湾

 勝浦の町に入る。「ホテル三日月」の大きな建物が目立つ。町の中を進み、「遠見岬(とみさき)神社」に出る。朝市が開かれているが、もう終わる時刻なのだろう、店もだいぶ少なくなっていた。さて、この「遠見岬神社」の長い階段はとても有名だ。実は先週まで「かつうらビッグひな祭り」が開催されていて、この階段にぎっしりと雛人形が並べられていたのだ。神社のホームページには、

「特に 2 月下旬から 3 月に行われる『かつうらビッグひなまつり』では 40 万人もの観光客が訪れます。平成 13 年から開かれているこの祭りは、御祭神ゆかりの徳島県勝浦町から7000 体のひな人形を譲り受けたことからはじまります。勝浦の名所でひな人形が飾られ、当社では 60 段の石段に 1200 体のひな人形が並び、1 番の目玉スポットとして多くの観光客で賑わいます。観光・漁業の町として発展した勝浦を今も当社は見守り続けております。」

 とある。この記事を読んで、「勝浦」の名が和歌山由来ではなく徳島由来だということが分かった。佐貫町←讃岐、安房←阿波という様にこの地域、四国からの移住者が多い。勝浦も四国だったのだ。

写真10 遠見岬神社
かつうらビッグひな祭り(勝浦市旅館組合ホームページより)

 階段を上がり、さらに登っていくと本殿がある。お参りのあと、小高い丘に上る。「勝浦湾」がよく見えた。

写真11 遠見岬神社
写真12 遠見岬神社から勝浦湾を臨む

 さて、つぎは「勝浦城」があったという「八幡岬公園」まで歩こう。海岸の道はトンネルがあるので避け、尾根道を歩く。途中の鳴海荘跡地に河津桜が咲いていた。

写真13 鳴海荘跡地駐車場の河津桜

 この先、「勝浦灯台」「官軍塚」への分岐があるが、真っ直ぐ「八幡岬公園」に進む。海岸の道と合流し、トンネルをくぐって公園に入る。地図があった。公園の中央が子供の広場になっており、「八幡岬」の先端部分に展望広場があるようだ。

写真14 八幡岬公園入り口のトンネル
写真15 八幡岬公園の地図

 「勝浦城址」の説明板がある。子供の広場がどうやら城跡のようだ。勝浦にお城があったのは知らなかった。いわゆる「海城(うみじろ)」である。Weblioによれば、「海城は、水運を押さえるため海に直面して築かれ、海水を堀に用い、その一部に舟入や船着場を設置または兼用している城」であり、いくつかのタイプがあるが、「勝浦城」は岬型に分類されるようだ。説明板にはつぎのように書かれている。

「勝浦城は、天正11年(1541)の頃、勝浦正木氏の初代、正木時忠が入城、それ以前は、真里谷武田氏の砦のようなものであったろうと言われています。その後、二代時通、三代頼忠の居城となります。しかし、天正18年(1590)、豊臣秀吉により安房里見氏が領地の一部を没収されると、里見氏と親交のあった勝浦城主正木頼忠も城を明け渡し、安房に逃れます。なお、頼忠の娘は後に徳川家康の側室(お万の方)となり、紀州徳川頼宣と水戸徳川頼房をもうけます。高名な水戸光圀(黄門)は、お万の方の孫にあたります。また、絶壁を布を伝わって下りたという「お万布ざらし」伝説は、神社裏の断崖絶壁が舞台です。」

 応仁の乱が 1467 年だから、1541 年といえば戦国時代の真っ最中で、安房の里見氏が上総国に領土を拡大させていた頃である。その防衛の為に岬の海城に砦が作られたのだろう。しかし、この地を里見氏が支配することとなり、里見氏の家臣である正木時忠が居城を作る。三代当主の正木頼忠(お万の父)の時、豊臣秀吉の北条攻めにおける失敗から里見氏が上総の領地を没収され、勝浦城も徳川家康の家臣の本多忠勝に攻められて落城する。そして、頼忠の娘のお万はこの地を支配することとなった徳川家康の側室となる。

写真16 勝浦城址

 展望広場へ進むとその「お万の像」がある。ここから「勝浦灯台」がよく見える。岬は断崖絶壁である。「お万布ざらし」については千葉県ホームページに解説があるが、本当にお万は白布を伝ってこんな崖を下りたのだろうか? あくまでも伝説だと思った。

写真17 お万の像
写真18 八幡岬公園から勝浦灯台を臨む

 つぎは「勝浦灯台」だ。来た道を分岐のところまで戻る。気づいたのだがこの道は「関東ふれあいの道」に指定されている。勝浦灯台は工事中だった。その手前から、先ほどいた八幡岬がよく見えた。右側の断崖絶壁の向こうに「お万の像」が立っている。

写真19 勝浦灯台
写真20 勝浦灯台から八幡岬を臨む

 「官軍塚」目指して歩いていると、左側に「平和観音像」の立て札があり、細い階段が上に続いている。立て札にあるように、太平洋戦争中に米軍の攻撃により沈没した旧日本海軍の駆逐艦「沖風」の戦死者を供養に観音像が 1977 年に建立された。丘の上に小さな観音像があった。私費で作られたものだそうだ。柔らかなお顔だ。澄んだ目で世の中の平和を見守っていらっしゃる。

写真21 平和観音の立て札とそこに上る階段
写真22 平和観音

 更にその先、道の左側に「官軍塚」がある。明治 2 年(1869)、函館五稜郭にこもる榎本武揚の制圧の援軍とした派遣された熊本藩士の乗る米国汽船が暴風雨のため勝浦川津沖で難破し、200 余人の犠牲者を出した。この塚は事故の救助に当たった地元川津の人々が遭難者を埋葬供養したものだ。ここでも河津桜満開だった。

写真23 官軍塚

 岬の稜線伝いに「関東ふれあいの道」を進む。次第に道は高度を下げ勝浦市街に近づいていく。途中で海岸の道へ移った。勝浦東部漁港に入る。向こうに「御宿」が見えるがその先は再び断崖絶壁である。

写真24 御宿の先の断崖絶壁

 さて、この先の「御宿」までの道だが、トンネルの連続だった。国道 128 号に入り車の量が多くなった。トンネルの歩道部分が狭いので恐い。車がくると壁側によける。ようやく御宿町に入った。この先もトンネルの連続である。

写真25 風早隧道
写真26 東魚見隧道
写真27 御宿町に入る

 崖の下が見える場所があった。見下ろすと道のようなものが見える。手前の「部原海岸」はサーフィン客で賑わっている。この辺りまでくると岩場になるが、ひょっとしたら岬をまわる海岸の道があるのかもしれない。鶴石隧道を抜け、さらにもうひとつトンネルを抜けると「御宿」の町である。

写真28 鶴石隧道の手前の海岸
写真29 鶴石隧道

 「御宿」の海岸は美しい。砂の色が白いので空の青、海の青が映えるのだ。さてこの「御宿(おんじゅく)」という名前だが、「宿」の町ということになる。御宿町役場によれば「鎌倉時代に北条時頼が諸国行脚のおり、須賀地区にある最明寺に宿泊したので、 御宿という名が起こったのだとされ、そしてそれにまつわる歌「御宿せしそのときよりと人とわば網代の海にゆうかげの松」が伝えられている」とのこと。昔から是非、立ち寄ってみたくなる場所なのだと思う。

写真30 御宿の海岸

 さて、時刻は 13:28 である。遅いが、お昼にしよう。「地魚寿司」の看板が目に入る。「寿司割烹たなか」に入る。遅いので客は私だけだ。ランチ寿司もあったが、ここは地魚寿司をいただこう。美味しいお寿司をいただきながら、この後どうするか考えた。お寿司を食べ終わると 14 時になる。御宿の先の「浪花駅」までは岬を回ると2時間はかかる。これは何も見ないで歩いたらの話で、途中、絶景の海岸が多数あるので、立ち寄れば3時間はかかるだろう。すると、17 時になってしまう。「浪花」に行くのは次回にして、15 時台の電車で帰るのが得策かもしれない。

写真31 寿司たなかの地魚寿司

 ということで、今日は「御宿駅」にゴールすることにし、電車が出る 15:10 までの間、砂浜を散策することにした。この海岸は加藤まさを作詞の童謡「月の沙漠」のモデルとなった場所。海岸の前の「月の沙漠記念館」には「加藤まさを」の展示がある。浜も「月の沙漠公園」と名づけられている。入るとすぐに目につくのが「加藤まさを」の詩碑と「ラクダに乗った王子と姫の銅像」だ。

写真32 加藤まさをの詩碑
写真33 ラクダに乗った王子と姫の銅像

 砂浜に坐ってしばし美しい海を眺めた後、「御宿駅」にゴールした。歩行距離は 19.6 km、時間 5 時間 25 分だった。

写真34 御宿駅にゴール
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