今回は「ホテルサンライズ銚子」を起点に銚子を一周する。最初の計画では、銚子のホテルに前泊し、バスで前回ゴールした「千葉科学大学マリナー前バス停」に行き、ウォーキングを再開するつもりだったが、バス本数の関係で歩く方が早くマリーナに着くことが分かったので、ホテルから歩くことにした。また、前回は霞がかかって全部が見通せなかった「屏風ヶ浦」を、空気の澄んでいる朝に見てみようと遊歩道に立ち寄った。
地図を見ると、銚子は太平洋に左手の拳を突き出したような形をしている。賑やかな市街部は北部の利根川沿いにあり、「JR 銚子駅」も北部の手首の位置にある。「銚子駅」からは、漁港のある南の「外川(とかわ)」まで「銚子電鉄」が拳の内側を走っている。親指の位置にあるのが「長崎鼻」、中指辺りが「犬吠埼」である。「屏風ヶ浦」は南の手首の位置だ。

ホテルを 7:12 に出発し、南に歩き始める。前回歩いた「ドーバーライン」をくぐって「名洗」の町に入った。細い道を通り抜けると「名洗漁港」で、ここから「屏風ヶ浦遊歩道」に入れる。前回、行こうと思って行けなかったコースである。


2023 年 4 月 27 日、前夜の雨が嘘のようにあがり、抜けるような青空が広がった。おかげで、屏風ヶ浦が端まで見通せる。

立入禁区域にかかる部分はこんな感じだ。透き通った空、青い海に断崖絶壁がよく映えている。「屏風ヶ浦」の全景をカメラに収める。沖の洋上風力発電機もくっきりと見える。昨日の悪天候のせいか波がかなり高い。



「千葉科学大学マリーナ前バス停」に到着したのは 8:40。さあ、ここから本来のウォーキング開始だ。まず、山へ登ってみようと思う。北総地域最高峰の「愛宕山」である。といっても、その標高は73.6m。山というより丘である。別名「地球の丸く見える丘」だ。そこに愛宕山山頂の三角点がある。

まず麓の「渡海神社」にお詣りする。祭神は、綿津見大神、猿田彦大神で、渡海安全、大漁満作を祈る神社である。元は外川町に銚子半島の鎮めとして創祀されたが、津波のため今の地に移転されたという。ここには天然記念物に指定されている「極相林」がある。極相林とは、説明板にあるように、松林などが枯れてその上にシイ・ツバキ・タブなどが発芽成長し、林の様相が陽樹林から陰樹林へと変化してしまったものをいう。



神社の横の道を上り、右に折れ、また上っていくと右手に「地球の丸く見える丘」のふれあい公園にがある。道の左側が「展望館」で、進むとすぐ「日比友愛の碑」に向かう階段があり、ここを上ったところに「愛宕山」の三角点があった。「日比友愛の碑」は、第二次世界大戦中、不幸にして戦火を交えた日本とフィリピン両国の民族と民族が永く世界の平和を祈念するために、昭和 33 年に建てられたものである。碑の先が見晴台になっていて、ここに立つと「屏風ヶ浦」が一望できた。マリーナから見えるものとはアングルが異なり、これはこれでまた格別の光景だ。



「愛宕山」から海岸線まで下りる。マリーナ側へちょっと戻ったところに「犬岩」がある。道標のそばに「犬岩」と「千騎ヶ岩(せんがいわ)」の説明版があった。「犬岩」は文字通り犬の形をした岩だ。これはとても分かりやすい。「千騎ヶ岩」は義経が千騎を隠したとされるところ。えっ、義経がいつ銚子に来たのか? 頼朝と訣別してからとされるが、真偽のほどは不明。「犬岩」にしろ、「千騎ヶ岩」にしろ、「犬吠埼」にしろ、江戸時代に義経と関係づけられて「磯巡り」として賑わった名所とのことだ。



「犬岩」の手前の浜で釣りをしている人を見た。押し寄せる荒い波、その向こうに風力発電機が立っている。絵になる光景なのでカメラに収める。

「千騎ヶ岩」だが、果たして千騎が隠れるだけのスペースがあるのかどうか? ぐるっと廻ったが、はなはだ疑問だった。

道を東へ進むと、すぐに「外川」の港に出る。「外川」といえば NHK の朝ドラ「澪つくし」(1985年)を思い出す。沢口靖子さんが演じる北の醬油屋の娘「古川かをる」と川野太郎さんが演じる外川の漁師の青年が恋に落ちるが、醤油屋と漁師はお互い反目する間柄、二人の前には両家の壁が立ちはだかるというストリーで、銚子版ロミオとジュリエットだ。その第 1 回に古川かをるが外川の浜で油絵のモデルとなるシーンがある。また、銚子電鉄に乗って外川まで行くシーンも何回かあ走っていた「デハ 801」の車両が展示されている。昭和 61 年から 25 年間主力車両として活躍していたそうだ。



「外川駅」から坂道を下り、最南端の岬「長崎鼻」へ向かう。岬の西側に出たようで、すこし道を戻る。背の高い防波堤が施工されている。階段が何カ所か設けられており、浜に下りることができる。浜からは「犬吠埼」がよく見える。「長崎鼻」は南に伸びる岬であるが、岩場が連なっているという感じだ。右側の白い煙突のような建物は照射灯で岩礁の先にある「一ノ島」を照らしているのだそうだ。


「長崎鼻」から「犬吠埼」へと向かう。この「犬吠」という名の由来は諸説があるが、源義経の愛犬「若丸」が岬に置き去りにされ、七日七晩泣き続けたことによるという説がある。「犬岩」「千騎ケ岩」などと同じように義経伝説に結びつけた命名説だが、真偽はともかく分かりやすい説だ。岬の風景も見る位置によって随分雰囲気が変わるものだ。何カ所かでカメラに収めたが、海が荒れていたので、白い波が入って、いい写真になった。犬吠埼の周辺には遊歩道が整備されていて、岬の下の海岸を歩いて廻ることができる。


遊歩道から階段を上がって灯台前の広場へ出た。ここで、お昼である。すぐ前の海鮮レストランで海鮮丼をいただいた。太陽が燦々と照りつけている。前回、かなり日焼けしたので、今回は予防のため持ってきた日焼け止めクリームを顔、腕に塗った。さあ、行動開始だ。まずは灯台に上ろう。


灯台の説明板がある。「犬吠埼灯台」は国産レンガで建てられた初の灯台なのだそうだ。300 円を払って、灯台の中に入る。99 段のらせん階段を上るのだが、結構狭い。上下すれ違うときが大変である。上に上がると、とても見晴らしがよい。さきほどまでいた「長崎鼻」がよく見えている。逆方向はというと「ポートタワー」が近くに見える。灯台の上で同じ歳のオジサンに出合った。お互い健康で頑張ろうと固い握手を交わした。


「犬吠埼」の北は砂浜が 1 km ほど続いている。「君ヶ浜」だ。幾重にも波が浜に打ち寄せていた。しばらくその様子を眺める。周期的に大きな波が立つ。海岸侵食をくい止めるために「人工リーフ」という海中建造物が設置されているのだそうだ。以前はここにもサーファー達が押し寄せていたそうだが、人工リーフのせいか全く姿が無かった。振り返ると灯台が見える。また違った雰囲気だった。



「君ヶ浜」から先は岩礁性の海岸となる。ここに「海鹿島」という島があるのは、「海鹿荘」という旅館の看板を見たあとに調べて分かった。昔はここまでアシカが来ていたのだそうだ。アシカと見間違えるような岩もたくさんある。
さらに北進すると銚子港の手前に「黒生」という地区がある。これをなんと読むか? 「くろおい」「こくしょう」でもなく、もちろん「くろなま」(これじゃビールだ)でもない。これで「くろはい」と読むのだ。この辺りの海岸は黒い岩礁と白い岩礁が混じっている。黒い方は溶岩が固まったもの、白い方は白い小石が入った礫岩だそうだ。写真の「とんび岩」はその礫岩の典型である。「銚子ジオパーク」として宣伝しているが、地質好きにとっては、銚子はとても面白い町なのだ。



さて、「磯巡り」はこれで終了し、銚子外港へと入っていく。60トンの大型小はブロックがずらっと並べられている。どうやらここで施工されているらしい。その前を歩く。前方に「銚子ポートタワー」が見えている。暑い、とても暑くて喉が渇く。まだ 4 月の終わりなのに。今年の夏は暑そうだ。どこかで休憩しよう。

水産物卸売りセンター「ウォッセ 21」に着いた。レストランに入り、生ビールを注文。アテはメヒカリの南蛮漬。さて、人心地ついたところで、隣の「銚子ポートタワー」に上ろうかと思ったが、残念ながら今日は休館日だった。



ホテルまであと 1 時間ほどの距離だ。銚子漁港を東へと歩いていくと、魚市場の手前で南の方向に何か赤いものが見えた。なんだろうと目を凝らすと、五重塔のようだ。地図で確認する。銚子電鉄の「観音」という駅が目に入った。続いて「圓福寺(飯沼観音)」という文字があった。塔の方へ歩いて行く。とても立派なお寺である。さきほど見えた朱塗りの五重塔、千手観音様を祀るこれも朱塗りの本堂、その横には大仏まである。それらを見て、「仁王門」から外に出て東に向かったのだが、実はここは「飯沼観音」で「圓福寺」の本坊はここより南に行った別のところにあるのである。私がお詣りしたのは「飯沼山 圓福寺」の一部にすぎなかった。立派なのは当然で、そもそも「圓福寺」の門前街として発展したのが銚子の町なのである。戦前までは広大な伽藍を誇ったが、太平洋戦争で焼失してしまったの再建したものなのである。どこまで焼失したのか分かりにくいのだが、本殿の太子堂は「150 年の時を経た」とあるので焼失を免れたのだろう「飯沼観音」の本堂や塔、仁王門はすべて焼失したと思われる。本堂は 1971 年に仁王門とともに再建され、あわせて境内も整備された。塔は新しいもので、2009 年の再建である。なお、大仏は正徳元年(1711年)に造立された古いものである。というわけで、再建までの間に「本殿」と「飯沼観音」の間に商店や映画館などが建って繁華街となり、二つの地区は分断されて現在に至るのである。



さらに西に歩いて行くと「白幡神社」に出る。この地を訪れた源義経が残していった白旗を祀ったのが始まりとされる神社である。そこを西に進み、「シンボルロード」を越えると「銚子市役所」があるが、この辺りは「ヒゲタ醤油」の昔の工場が建っていたところだ。現在の工場はJRの線路の南側にある。一方の「ヤマサ醤油」はもう少し西側、銚子電鉄の「仲の町」の駅の南と北に工場がある。そう、「銚子」といえば「野田」と並んで、江戸時代からの醤油の生産が行われているところだ。銚子は醤油の原料となる大豆・小麦の生産地である茨城と接している。「銚子」で醤油造りが始められたのは、1645 年の田中玄蕃(ヒゲタ醤油の祖)で、また同年、濱口儀兵衛(ヤマサ醤油の祖)が和歌山からやってきて商売を始めた。当時、利根川の東遷が進みつつあり、1665 年には銚子から常陸川を遡って関宿に至り、江戸川を下り新川・小名木川を通って江戸と結ぶ用水路が出来上がった。醤油の大消費地である江戸と生産地である銚子が利根川水運で結ばれたのである。先に紹介した「澪つくし」の古川かをるの父、醤油醸造元「入兆」の当主・坂東久兵衛は和歌山出身で和歌山との間を往き来していたので、「入兆」は「ヤマサ」のことであろうと想像する。


銚子市役所を過ぎて南に歩いて「ホテルサンライズ銚子」に到着した。歩行距離は 27.5 km だった。これで「外房」のウォーキングは終了で、これからは利根川を「関宿」まで上り、そこから今度は江戸川伝いに東京湾まで下りてくる。しばらく海とはお別れとなる。

