千葉県ぐるっとウォーキング 第22回 滑河駅~木下駅

 2023 年 10 月 6 日、ウォーキングを再開。前回が 5 月 12 日だったから、4 ヶ月間休止していたことになる。今年の夏はホントに暑かった。いや、夏になる前から暑くてとても歩く気にならなかった。9 月に入っても残暑が厳しかったが、10 月になるとようやく秋らしくなり、ウォーキング可能となったのだ。この千葉県を歩いて一周する旅も、あと 10 回で完結できる予定だ。なんとか今年中に達成したいと思う。これからは次第に日が短くなっていくから、距離を稼ぐにはこの 10 月が勝負だ。

 前回ゴールした成田線の「滑河駅」(成田市)を出発し、今回は同じ成田線の「木下(きおろし)駅」(印西市)まで歩いた。地図に示した様に、どちらも利根川沿いの駅だが、この区間は利根川沿いに JR が走っていない。ちょうど「滑河」「成田」「木下」で三角形になっていて、「滑河」を出発した電車は川から離れて「成田」へ向かい、ここで電車を乗り換えて[木下」を経て「我孫子」へと向かうことになる。

 「滑河・木下」間は利根川沿いに歩けば 20 km 程度である。だが、今回はその最短コースを取らなかった。あまりにも単調だからである。川沿いの道はもともと「香取海」の中にあったところで、はっきり言って何もない。神社などの見所は古代に陸地だったところにある。ということで、「龍角寺古墳」を加えた内陸コースを歩くことにした。歩行距離が長くなり 24 km。さらにここにトラブルが加わった。いつも事前に google map でコースを設定し、スマートフォンに転送して、それを見ながら歩いているのだが、その事前設定の地図が読めなかったのだ。仕方がないので、記憶にある経由地を順番に入力し、ルート検索を繰り返しながら歩いたのだが、 28 km まで距離が伸びてしまった。久しぶりにしてはハードな行程となった。

写真1 滑河気

 7:49 に「滑河駅」を出発。「龍角寺古墳」でコースを検索すると、川沿いの道を指定してきた。下の写真の国道 356 号線である。確かに歩く距離は短いかもしれないが、ずっとここを歩き続けるのは苦痛しかない! 地図を見ると「龍正院(りゅうしょういん)」というお寺を発見。まず、そこへ行ってみようとコース変更した。

写真2 国道356号線

 南下して県道 161 号線に入ると、「滑河観音」という看板があった。ここが「龍正院」らしい。県道から左に入ると、すぐ本堂の前に出る。なかなか立派な建物である。千葉県教育委員会の説明板があり、それには「龍正院は、平安時代初期の承和 5 年(838)の草創といわれている。本尊は、高さ約 3.6 cm の十一面観音で、後に造られた大観音像の胎内に納められる。滑河観音と呼ばれ、延命・安産・子育ての守り本尊として多くの人々に信仰されており、坂東三十三観音霊場の第 28 番札所の天台宗の寺院である。本堂は、方五間一重入母屋造の雄大な仏堂で、屋根は銅板瓦棒葺である。四周の切目縁には和様高欄を付し、柱は円柱である。前面 2 間通りを外陣とするが、正面 3 間の入口には当初から建具のない特殊な構造となっており、これは 4 本の大虹梁(こうりょう)をかけた空間として、一般庶民がいつでも観音の慈悲にすがれることを願ったものといわれる。(後略)」と書かれている。

写真3 龍正院本堂

 階段を上がると正面上部に「観世音」の額がかかっており、天井は龍が描かれ、欄間には「迦陵頻伽(かりょうびんが)」(上半身が人で、下半身が鳥の仏教における想像上の生物)の彫刻が施されている。左側の天井には天女? いや、これも欄間と同じく「迦陵頻伽」だろう。右側にも同じく「迦陵頻伽」。建立年代は元禄 11 年と本堂前の説明板にあった。

写真4 龍正院本堂 外陣天井と欄間(正面)
写真5 龍正院本堂 外陣天井と欄間(左)
写真6 龍正院本堂 外陣天井と欄間(右)

 本堂に向かって左手に「銅造宝篋印塔(ほうきょういんとう)」がある。「宝篋印塔」は「宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)」という呪文を収めたもので、供養塔・墓塔でよく見られるが、銅造は珍しい。説明板には「4 段の切石積の基壇上に置かれ、高さ 4.97 m、最下段の基壇の一辺の幅は 3.37 m、銅製台座の一辺は 1.468 m、基壇の高さは地表から 1.46 mで、鋳銅製である。瓦棒葺形式の四注屋根には、露盤、相輪を備え二重疎垂木、拳鼻付の出組組物、中備の本蟇股等本格的な建築様式を用いて精巧に作られ、美術的価値も高いといえよう。享保 3 年(1718)4 月 5 日、江戸神田住人小幡内匠によって鋳造された」とある。

写真7 銅造宝篋印塔

「龍正院」、なかなかの古刹である。こちらへ廻ってきて大正解だ。再び google mapでコース検索を行う。「龍角寺古墳」へ行くには、何本か川を渡らねばならず、先ほどの利根川沿いの道まで出るのがよいようだ。ということで「派川根木名(はせんねこな)川」(写真8)を渡り、田圃の中の道を利根川に向かって進む。

写真8 派川根木名川

 「根木名川」に出ると水門が見えた。川が氾濫しないように水量を調節しているのだ。水門の向こうは「利根川」、門の手前を国道 356 号線が走っている。

写真9 根木名川の新川水門

水門のところから「利根川」がよく見える。向こうに「筑波山」が見えている。今日は快晴だが、風がかなり強い。

写真10 新川水門から利根川・筑波山を臨む

 しばらく「利根川」沿いに歩いた後、左折して「龍角寺古墳」を目指す。古代には印旛沼は香取海の中にあり、奥まで海が入り込んで、台地が何カ所も舌状に突き出ていた。古墳や神社はそういった台地の上にある(汀線=標高5mとした古代の香取海地図参照)。「新川水門」から台地の裾の「北羽鳥」まで 45 分。そこからゆるやかな傾斜を上ると、右手に鳥居が現れた。「北羽鳥香取神社」とあり、鳥居の向こうに階段が続いているが見える。

香取海の地図(汀線=標高5m)と今回の見所
写真11 北羽鳥香取神社の鳥居

 階段の上に拝殿があり、その後に本殿がある。祭神は「香取神宮」と同じく「経津主神(フツヌシノカミ)」である。「香取神社」は全国で約 400 社あり、関東地方、とくに利根川・江戸川沿いが多いのだそうだ。この「香取神社」は「獅子舞」が有名で、毎年 4 月の第 1 日曜日に 3 匹の獅子が舞うと鳥居の横の説明板に書かれていた。

写真12 北羽鳥香取神社拝殿
写真13 北羽鳥香取神社本殿とご神木

 この先「三峰神社」や「観音堂」を通るはずが、分岐を見逃してスルーしてしまう。こまめに地図を見る必要がある。林の中に入っていくが、地図では「南羽鳥古墳群」となっている。道路の右手、木々の間にこんもりしたものが見える。あれが古墳だろう。さらに林の中を進むと、右側にゴルフ場が現れた。「成田ヒルズカントリークラブ」だ。この先、竜角寺台の団地があり、そこを回って行けば、「房総のむら」や「龍角寺古墳群」に出る。たが歩く距離が伸びるので、今回は「龍角寺古墳第 109 号墳」だけにした。

写真14 南羽鳥古墳群
写真15 林の中の道を進む

 この辺り、古墳時代後期(6 世紀)から終末期(7 世紀)にかけての多数の古墳がある。現在、確認されているだけでも 115 基あり、「印波国造」と密接な関係があると考えられている。今回は時間が足りないので再訪して、「神々の坐す処・幻のオオ氏を探せ!」で考察する予定でいる。

さて、訪問予定だった「龍角寺古墳第 109 号墳」だが、どうやら「房総のむら」の中にあるようで、アプローチできなかった。そばの「亀の子池」の写真を撮った。池の左手が古墳だと思われる。

写真16 龍角寺古墳横の亀の子池

 この先「龍角寺」に寄るかどうか迷ったが、すでに歩き始めて 3 時間になるので、先を急ぐことにした。西に向かって歩いて行くと神社があった。「素羽鷹(そばたか)神社」(印旛郡栄町)である。「香取」の東に字は違うが同じ読みの「側高神社」があるが、そちらが本社だそうだ。利根川下流域には多数の「そばたか」神社が存在する。

 一見、集会所風の拝殿だが、後に廻ると本殿はなかなか立派である。祭神は「天日鷲命(アマノヒワシノミコト)」「保食神(ウケモチノカミ)」で、「天日鷲命」は阿波の「斎部(いんべ)氏」の祖神、「保食神」は穀物をつかさどる神である。香取の「側高神社」の祭神は深秘とされているのだが、ここは「阿波斎部氏」との関係をどうどうと公表しているのだ。

写真17 素羽鷹神社拝殿
写真18 素羽鷹神社本殿

 印旛には「鳥見神社」も多数分布している。今回、そのうちの一つ「小林鳥見神社」に立ち寄ろうと思っているのだが、そこは隣の舌状に突き出た台地の上にあり(香取海地図参照)、まだだいぶ歩かなければならない。「安食(あじき)」の「さわやか通り」を歩く。住宅地の中にある綺麗に整備された道路である。「安食台」を下りたところに「大鷲神社」があった。

写真19 大鷲神社鳥居(女坂)

 この階段を上るコースが女坂で、途中に「魂生(こんせい)神社」があり、そこからさら上がると「大鷲神社」の「神門」を経て「本殿」がある。男坂の鳥居は西側にある。まず「大鷲神社」の拝殿だが、江戸時代(天保二年)の建立である。

写真20 大鷲神社 社門
写真21 大鷲神社拝殿

  拝殿から横に廻る。本殿を見て驚いた。これは立派なものだ。壁板にはさまざまな彫刻が施されている。

写真22 大鷲神社本殿

 なかでも本屋と向拝を繋ぐ「海老虹梁(えびこうりょう)」は龍が丸彫りされている立派なものだ。こういう造りは千葉県内で 2 例だけだという。祭神は「天乃日鷲尊」でさきほどの「素羽鷹神社」と同様、阿波の「斎部(いんべ)氏」の祖神である。景行天皇 40 年に東征中の日本武尊が祖神を奉斎したのが創祀とされる。「安食」は「阿波斎部氏」と関係が深いようだ。

写真23 本屋と向拝を繋ぐ海老虹梁

 さて「魂生神社」だが、これがなかなかスゴイ! 子授け、安産、夫婦和合の神ということで、とてもとても立派な「アレ」がご神体である! 右側の白い「アレ」は 12 月の酉の市で町中を巡行するのだそうだ。見物だ!

写真24 魂生大明神
写真25 魂生神社

 神社内には女性の「ソレ」にそっくりな造形の木や夫婦和合の様を示す木があるそうなのだが、それは後から知ったこと。見逃してしまった。無念!

写真26 長門川

 時刻は 12:15。ここから「小林鳥見神社」まで 1 時間、「木下駅」で予定している電車が 15:06 なので先を急ごう。「安食」から「長門川」を渡り「印西市」へと入る。

 この先、「小林」まで「将監川」沿いに国道 356 号線を歩いたのだが、歩道がなくて結構怖かった。途中、川がちらっと見えた。 南下して JR を越え「鳥見神社」に向かう。

写真27 将監川

 印旛沼周辺に「鳥見神社」は 22 社ほどあるという。「鳥見神社」の主祭神は「天饒速日命(アメノニギハヤヒノミコト)」で「物部氏」の祖神である。神社内の説明板には「天神(あまつかみ)の命により病気平癒の術を授けられ三十二従神並びに部族を率いて天磐船に乗り、河内国(現大阪)の河上哮峯(いかるがのみね)に天降り給い、後に大倭(やまと)国(奈良県)鳥見白庭に住み給いしが、神武天皇御東征、御即位の後、国を天皇にゆずり一族を率いて当地に到り、此の地方を開拓し定住した為当地方北門開拓の祖神として、崇神天皇五年(紀元前九十三年)に鳥見神社として祀られたと伝えられる。後代千葉家の崇敬特に篤く、永禄十一年(1568 年)本殿拝殿を改修せられ後元和年中に千葉介胤冨により本殿拝殿を再建、その折り近くの多くの城主より寄進あり、安永七年(1778 年)川村春光、本殿社殿を改築。棟梁は臼井産人、船津義和が当たる。明治十二年郷社に列す」とある。「鳥見神社」の中でも郷社と格が高く、フラグシップ的な存在である。

 それにしても印旛にはさきほどの「阿波斎部氏」の「側高」系も分布しているし、「麻賀多神社」もある。「麻賀多神社」は「オオ氏」の神社だし、「龍角寺古墳」の「印波国造」が「オオ氏」である。いろいろな豪族が混在しているような感じである。この辺りの事情については、別途、「神々の坐す処、香取海を巡る神々」で考察したいと思っている。

写真28 小林鳥見神社
写真29 小林鳥見神社拝殿
写真30 小林鳥見神社本殿

13:30 「小林鳥見神社」を後にして「木下」に向かう。JR 成田線に沿って、ひたすら西に向かって歩く。「木下」近くで道は JR の線路を越える。さあ、もう少しだ。地図では「木下河岸(きおろしかし)」の跡があるようだ。利根川の土手を登る。

写真31 木下河岸跡

 「木下河岸」は「日本歴史地名体系」によれば、「江戸から常陸・下利根川筋へ向かう基点とされ、木下道(行徳道)・銚子道と結ばれる交通の要所。対岸布川(ふかわ)(現茨城県利根町)への渡船場でもあった。またおもに銚子方面からの鮮魚が荷揚げされ、下利根川筋へ船で下る旅人の乗船場でもあった」とあり、特に江戸時代の「木下茶船」が有名で、「東国三社巡り」や「銚子磯巡り」の観光船がこの河岸より出発した。「鹿島」「香取」の両神宮と「息栖(いきす)神社」を廻る「東国三社巡り」は江戸中期には人数にすると年間 4700 人、一日あたり 46 人が詣でたというから大人気ぶりがうかがえる。その「木下河岸」の跡がここであるが、現在は何も残っていない。

 土手を下り、西に向かってもう少し歩くと「木下駅」である。久しぶりに大きな駅だった。歩行時間 6 時間 45 分、距離にして 27.9 km だった。この後、電車の時間まで駅前の喫茶店でコーヒーをいただく。まさに至福のひとときだった。

写真32 木下駅にゴール

 

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