旧東海道歩き旅(14)沼津宿~原宿(2024.3.30)

図1 安藤広重「東海道五十三次 沼津」

沼津宿

 前回の続きである。「沼津宿」に入ったのは 9 時。「沼津」の町は初めてである。伊豆半島の玄関口で一度来たいとは思っていたが、まさか歩いてやってくるとは思わなかった。「沼津宿」の概要はつぎのとおり。城下町だったので家数が多い。

  • 所在地:駿河 (するが) 国駿東 (すんとう) 郡(静岡県沼津市本町など)
  • 江戸・日本橋からの距離:30 里 9 町
  • 宿の規模:家数 1234 軒、本陣 3、脇本陣 1、旅籠屋 55
  • 宿の特徴:狩野川の河口に開けた地で、三枚橋城(沼津城)がつくられ城下町として発達。江戸時代は沼津藩の城下町だった。

 前回は「日枝の一里塚」のところまで書いた。このあたりは「山王町」と呼ばれ、「日枝神社」の参道があったところ。その手前に「浪人川」の石橋があったようで、そこから「沼津宿」が始まるらしい。『東海道分間延絵図』に情報を加えた地図が図 2 である。

図2 『東海道分間延絵図 沼津』(東京国立博物館)に情報を加えたもの

 道は「狩野川(かのがわ)」に沿って進む。図 1 の広重の絵、左が「狩野川」。前方、家々が立ち並ぶその手前に橋が描かれている。どう見ても木の橋のようである。「浪人川」だと石橋なので、ここはどこだろうか? 一番後の男の背中の「天狗の面」は「讃岐の金比羅山」への供物だという。かなりの旅行ブームだったようだ。

「県道 380 号線」から南に分岐する道があり、その角に「旧東海道 川廓通り」の碑があった。「廓」とあるので「花街」かと思いきや、ここは「沼津城(三枚橋城)」の「曲輪」にあたるところて、すぐ北西に城郭があったのである。この城は「北条氏政書状」によると天正7年(1579)、「武田勝頼」が後北条氏に対抗して築城したとされる。江戸時代初期には沼津藩の藩庁が置かれていた。しかし、「沼津」は 2 度大火に遭い、城の堀は埋められ、昔の面影を偲ぶことはできない。現在は、「中央公園」に本丸跡の碑、公園の南東に石垣の遺構が残るのみである。

写真1 川廓通りの碑
写真2 川廓通り

 通りを抜けて大通りを左に曲がる。この道は「沼津駅」に続くメインストリートで、彫像が飾られていてオシャレである。リバーサイドホテル前には復元された外堀の石垣があった。

写真3 沼津駅前通り
写真4 三枚橋城外堀石垣

「通横町(とおりよこちょう)」の交差点を右に曲がって「御成橋通」に入り、つぎの信号で左折すると少しレトロな通りに入る。ここが、昔、本陣などがあった宿場町だったところ。「宮本本陣跡」の碑を発見した。本陣 3、脇本陣 1、旅籠屋 55 なのでかなりの規模の宿場町だったようだが、火事や戦災ですっかり失われてしまったようだ。

 道は西に折れ曲がり、「丸子・浅間神社」の鳥居の前に出る。図 2 の「東海道分間延絵図」では「浅間神社」となっているところである。では「丸子神社」とな何だろうか? もともと「丸子神社」はもっと西の「丸子町」にあった延喜式神名帳に記載のある古い神社だったが、江戸時代の火災で神社が焼けたため、ここに遷座したらしい。「丸子神社」の祭神は「金山彦神(カナヤマヒコノカミ)」であるが、『東海道名所図会』では「国常立尊(クニトコタチノミコト)」となっている。「浅間神社」の方は全国共通で「木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメ)」。

写真5 丸子・浅間神社の鳥居
図6 丸子・浅間神社の社殿

「旧東海道」はこのまま道なりに西に進むのだが、「千本松原」を目指すべく「千本浜通」に入った。

千本松原から原宿へ

図3 今回の行程

「千本松原」について、「沼津観光ポータル」は次の様に書いている。

白砂青松 100 選にも選ばれた、歴史香る景勝地

狩野川河口から田子の浦にかけて広がる千本松原は、松の常緑と白雪をいただいた富士山、そして駿河湾の彼方に沈む夕陽といった美しい自然で知られ、白砂青松 100 選にも選ばれた景勝地です。戦国時代には武田氏と後北条氏の戦いで切り払われましたが、名僧・増誉上人が 5 年の歳月をかけて植え直したと伝えられています。また、千本松原の一部は公園として整備され、松林の中を散策したり、この地を愛した文人たちの記念碑を見ることができます

 なんといても「松の緑」「白い富士山」「紺碧の駿河湾」という三点セットを楽しめる最高の景勝地なのだ。「旧東海道」を少しパスして、この海岸の道を歩いてやろうという心づもりである。

 すぐ右側に「乗運寺」がある。ここに「若山牧水の墓」があるとのことだが、通り過ぎる。「沼津」は歌人「牧水」の終焉の地なのである。「沼津公園」の入口に到着。公園の中に入ると松・松・松である。さすが千本松原だ。「牧水」の歌碑があった。

写真7 千本松原
写真8 若山牧水歌碑

 幾山河こえさりゆかば 寂しさのはてなむ国ぞ けふも旅ゆく

 牧水の代表作である。全国に 260 以上牧水の歌碑があるが、これが第一号で 1929 年に建立された。駐車場があり、その先に海に上がる道があった。

 堤防の上に出ると風がとても強い。昨日の雨の後、今日は強い南風が吹くとの予報だった。「三島」からここまで確かに風は強かったが、遮蔽物があり、それほどとは感じてはいなかったのだが、「駿河湾」から直に吹いてくる風は尋常ではない。今日は土曜日である。ちょうどランニング大会が開催されていて、この堤防の道を「吹き飛ばされそう」になりながら走っていた。ホントに「吹き飛ばされそう」なのだ。カメラが風で動くので写真を撮るのも大変だった。まずは「千本松原」「駿河湾」「富士山」の三点セット。

写真9 千本松原・駿河湾・富士山

 つぎは伊豆半島。一番右が「大瀬崎」だと思う。

写真10 千本浜海岸からの伊豆半島の眺め

 堤防の道はこんな具合で「田子の浦」まで続いているらしい。雄大な駿河湾の風景を背に「富士山」が見える気持ちのいい道である。ところが今日は余りの強風で歩くのがやっとである。また、せっかくの「富士山」の眺望を松が遮ってしまうことも多かった。初めは「田子の浦」までこの道を歩こうと思っていたが、風に耐えられなくなり、「原」のあたり降りて「旧街道」(県道 163 号)に向かうことにした。

写真11 堤防の道

 入ったところは「大塚町」、すでに「原宿」の中である。この先は次回としよう。

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