神々の坐すところ

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「神々の坐すところ」は別サイトに移行しました

このブログで「神々の坐すところ」という項目で、神社と古代史について書いてきましたが、このたび本格的にサイトを立てて、そこで展開させていくこととしました。新しいサイト「神々の坐す処」()をよろしくお願いします。
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香取海を巡る神々 8.大生神社① 訪問記

「鹿島」から車を走らせ、「北浦」を渡って「潮来」に向かった。目的地は「元鹿島の宮」と称する「大生(おおう・おう)神社」である。「元鹿島」とはいったいどういうことなのか? その事情を知りたいと思う。「大生神社」の所在地は茨城県潮来市大生で、「...
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香取海を巡る神々 7.坂戸・沼尾神社

「坂戸神社」と「沼尾神社」は鹿島神宮の境外摂社(本社の祭神と縁故の深い神を祀った境外にある神社)である。位置関係を図 7-1 (汀線=標高 5 m)に示した。鹿島神宮の北に位置し、サッカースタジアム駅のちょうど西側に、北浦に突き出した岬が ...
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香取海を巡る神々 6.鹿島神宮④ 中臣氏の謎

最後に「なぜ鹿島神宮と中臣氏が結びついたのか?」について考えよう。もういちど、「常陸国風土記」の 649 年の「神郡」設置の記述に戻る。大乙上中臣□子・大乙下中臣部兎子等が、総領高向の大夫(まえつぎみ)に願い出て、下総の国の海上(うなかみ)...
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香取海を巡る神々 コラム2 ヤマト王権の地方経営

ヤマト王権の地方経営制度の変遷4 ~ 5 世紀、東国では各地に有力豪族が生まれ、ヤマト王権と結びつく豪族も相当数あった。それぞれが自分の勢力の及ぶ地域の「国主(クニヌシ)」だった。「大国主」はたくさんの国をたばねた存在「オオ・クニヌシ」とい...
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香取海を巡る神々 コラム1 氏姓制度

「香取海を巡る神々」の本論を理解する際に、役に立つと思われる項目について、「コラム」に取り上げ、簡単にまとめておこうと思う。まずは「氏姓制度」についてである。氏姓制度 ヤマト王権はさまざまな豪族が集まり、のちに「天皇」と呼ばれる大王を中心に...
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香取海を巡る神々 5.鹿島神宮③ 神宮設置の目的

鹿島は鉄の産地慶雲元年(七○四)に、国の司(つかさ)采女(うねめ)の朝臣が、鍛佐備(かぬちさび)の大麿らを連れて、若松の浜の砂鉄を採って、剣を造った。ここから南、軽野の里の若松の浜に至るまで、三十余里ほど、ここは皆松山である。伏令(まつほど...
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香取海を巡る神々 4.鹿島神宮② 祭神タケミカヅチについて

御祭神は「武甕槌大神(タケミカヅチノオオカミ)」とされるが 「鹿島神宮」のご祭神は写真の様に「武甕槌大神」である。ところが、この名前が「鹿島」と関係して正史に現れるのは、承和三年(836年)の「続日本後紀」が始めてなのだ。「常陸国鹿島郡従二...
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香取海を巡る神々 3.鹿島神宮① 訪問記

最初は「常陸国一之宮」の「鹿島神宮」である。  国道 51 号線を潮来から東に進んで「神宮橋」を渡り、左折して案内板にしたがい県道 192 号に入る。直進すると参道商店街を経て、「鹿島神宮」の「二の鳥居」の前に出る。スダジイの大木が私を迎え...
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香取海を巡る神々 2.香取海の地図

古代における「香取海」の姿を知りたい。さまざまな本に「縄文時代の地図」が出ているのだが、絵がおおまかなために、現在の地図に重ね合わせられない。それに「香取海」周辺の神社を訪ねようとする場合、「それが作られた時代」の地図が欲しい。さすがに「縄...