中島みゆき考「時代」

 日曜日に BS フジで「輝き続ける中島みゆき」という番組をやっていました。DEQ2496の項で試聴曲として中島みゆきの「時代」を聴いたばかりの時でしたから、興味を覚えて視聴しました。ゲストのトークを中心に中島みゆきの魅力を探る、といった番組でした。これに触発されて、中島みゆきの楽曲に対して自分の考えを述べておこうと思い、これを書き始めました。「インテンポでいこう」というタイトルのブログを始めたのはいいものの、音楽自体に関する話題はこれまでひとつも書いていないので、手始めに書いてみようというところです。

 さて、「時代」という曲ですが、1975 年に発表され、世界歌謡祭でグランプリを取った中島みゆきの出世作です。ファーストアルバムの「私の声が聞こえますか」の最後に収録されています。とてもポピュラーな曲ですが、このアルバムの中ではとても異質な曲です。

中島みゆき「私の声が聞こえますか」

今はこんなに悲しくて
涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には
なれそうもないけど

そんな時代もあったねと
いつか話せる日が来るわ
あんな時代もあったねと
きっと笑って話せるわ
だから今日はくよくよしないで
今日の風に吹かれましょう
まわるまわるよ 時代はまわる
喜び悲しみ繰り返し
今日は別れた恋人たちも
生まれ変わって めぐりあうよ

旅を続ける人々は
いつか故郷に出会う日を
たとえ今夜は倒れても
きっと信じてドアを出る
たとえ今日は果てしもなく
冷たい雨が降っていても
めぐるめぐるよ 時代はめぐる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ

まわるまわるよ 時代はまわる
別れと出会いを繰り返し
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ
今日は倒れた旅人たちも
生まれ変わって歩き出すよ

中島みゆき作詞

 アルバムのトップは「あぶな坂」です。ここにあるのは、おちぶれて傷ついた男たちが「あぶな坂」をころげおちて「私」のもとへやってくるとという不思議なもの。「遠いふるさとで傷ついたいいわけに」とか、「遠いふるさとはおちぶれた男の名をよんでなどいない」とかいうフレーズが散りばめられています。アルバムの他の曲には男女のすれ違い、失恋、孤独、望郷などの想いが描かれていますが、みんな具体的でプライベートな喪失感を歌った詩です。同じく応援歌である「歌をあなたに」は「あなたのために歌おう」となっているように、プライベートな空間を出ません。ところが「時代」はどうでしょう。「めぐるめぐるよ 時代はめぐる 別れと出会いを繰り返し」というように、極めて抽象的かつ俯瞰的な世界が歌われるのです。タイトルからして「時代」なのですから。

 なぜそんな俯瞰的な歌を詠んだのでしょうか? 個人の喪失感を埋めるのであれば、もっと直接的な呼びかけの方がふさわしいように思えます。で、気づいたのですが、これは70年代の歌なのです。私も中島みゆきと同年代なのでわかるのですが、この時期は「安保闘争」など、大学紛争が一段落し、若者のエネルギーは行き場を失い、喪失感が拡がっていた時期でした。そういう喪失感に満ちた「時代」から訣別するための歌と取れば、詩がよく理解できます。タイトルは「時代」でなくてはならなかったわけです。

 若者は理想を持って社会に出ます。ところが、現実の「社会」は数々の矛盾をはらんでいて、一筋縄ではいきません。若者は挫折し、傷つき、喪失感に囚われます。そんな時には「くよくよしないで
今日の風に吹かれましょう」とさらりと歌っています。そうしながら、あきらめずに「理想」に向けて旅を続けていこうと呼びかけています。「旅を続ける人々は いつか故郷に出会う日を たとえ今夜は倒れても きっと信じてドアを出る たとえ今日は果てしもなく 冷たい雨が降っていても」です。そうすれば、時代はめぐるのです。「今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩き出す」のですね。

 私はこの歌が好きです。喪失の時代と訣別し、自分の理想を持って旅に出よう。そうすれば、別れと出会いを繰り返して時代はめぐり、きっといい日がやってくるのです。直球勝負の具体的な詩だと、イメージが固定されてしまいますが、こういう普遍的な歌詞だと受取る側が自分の心情に合わせて共感するので、広く受容されるのです。この歌が長く愛されている秘密がそこにあるように思います。

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