昨日(2022/09/16)、錦糸町のトリフォニーホールで行われた新日本フィルの「すみだクラシックへの扉 #09」のコンサートへ行ってきた。指揮:小泉和裕、ピアノ:清水和音によるブラームスのピアノ協奏曲第一番と同じくブラームスの交響曲第一番である。この新日本フィルの定期演奏会では、9 月から 1 月までの 4 回、ブラームスの交響曲特集を行う。最初が一番、次回 10 月が 2 番、11 月が 4 番、1 月が 3 番である。

このシリーズ、昨年の 9 月から定期会員になって通っている。なぜ、新日本フィルか? コンサートの会場が錦糸町でうちの家から近いというのが最大の理由だ。在京のオーケストラの演奏会場の中で一番近いのが新日本フィルだったのである。それまで、N 響(当時は NHK ホールで渋谷)、読響(多くは東京芸術劇場で池袋)、日フィル(東京オペラシティで新宿)と千葉から遠かった。もちろん、シンフォニーホール(赤坂)、東京文化会館(上野)ならこれらのホールよりやや近い。だが、錦糸町にはかなわない。もうひとつは、コロナの最中だったので、都心をあまり動きた くないというのもあった。トリフォニーホールはそのニーズに合っていたのだ。
このシリーズは企画が面白い。今年度は 4 月が久石譲指揮で「展覧会の絵」、5 月が井上道義指揮で「風神・雷神」など、6 月がキンボー・イシイ指揮で吉松隆の2作品などである。滅多に聴けない曲が聴ける面白いプログラムだ。で、今秋は前述のブラームス・チクルス。
「ブラームスはお好き?」はフランソワーズ・サガンの小説のタイトル。韓国ドラマもあるそうだ。サガンの小説は「さよならをもう一度」というタイトルで 1961 年に映画化された。愛するイングリット・バーグマンとイブ・モンタンの主演である。さて、「ブラームスはお好き?」と訊かれたら、私の答えは「あまり好きではない」だ。あまり聴かない。もっている CD も少ない。交響曲第四番以外はほとんど持っていない。あまりピンとこないというのが聴かない理由だ。
モーツアルトの音楽は聴いていて楽しい、美しい旋律に涙するときもある。ベートーヴェンはドラマチックで分かりやすい。シューベルトは歌があり、終わりそうで終わらないところがいい。シベリウスは北欧の香りにぐっとくる。マーラーはホールで聴くと宇宙の響きだし、ブルックナーの音楽は神々のものだ。それに比べて、ブラームスは響きが重く、紆余曲折していて分かりにくい。もちろん、美しいメロディもあるが、多くは重厚な和音ばかりが目立つ。で、今回はどうか? 前の夜、一応、予習してのぞんだ。ピアノ協奏曲第一番は長い。交響曲第一番より時間がかかる。ピアノが「華麗なる旋律を歌う」こともない。だんだん退屈してくる。交響曲第一番はベートーヴェンのオマージュだ。ブラームスが悩みに悩み 20 年かかった曲だ。運命の動機や合唱の歓喜の歌に似た旋律、ベートーヴェン風の動機が一杯出てくる。それをあの重い和音と厳つい骨格で包み込む。やはりダメだ! ベートーヴェンのように直線的ではないので、聴いていて高揚してこない。周りを見てもウツラウツラしている人が結構いた。
あと、これは新日本フィルだけではないのだが、木管が目立ちすぎてハーモニーのバランスが壊れているように思う。この現象、ベートヴェンの第九、三楽章で顕著に表れる。このあまりにも美しい旋律に酔えず、至福の時間に浸れないのがほとんどだ。木管の音が大きすぎ、ハーモニーが崩れている。今回は特に第三楽章でこれが出ていた。全員が強奏している時は粗が目立ちにくいが、弱奏だとよく分かる。CD ではミキシングでうまくカバーするのかもしれないが、生だと悪いところがそのまま出てしまう。細部にも目を光らせて、より美しく表現してもらいたいと思う。

