旧東海道歩き旅(17)蒲原宿~由比宿(2024.3.31)

図1 安藤広重「東海道五十三次 蒲原夜之雪」

蒲原宿

「蒲原(かんばら)」の「原」は「湿原」の意味である。「蒲」の字が使われていることから「ガマ」が生い茂っていたのだろう。なお、「かん」には「神」の字を当てることもあった。このあたり「原」という字が入った地名が多い。湿原地帯が続くのだろう。「原宿」は「原」そのものだし、「吉原」は「葦(ヨシ)」が生い茂った湿原だ。

「蒲原宿」の概要はつぎのとおり。

  • 所在地:駿河国庵原 (いはら) 郡(静岡県静岡市清水区蒲原 1 丁目など)
  • 江戸・日本橋からの距離:37 里 21 町 45 間
  • 宿の規模:家数 509 軒、本陣 1、脇本陣 3、旅籠屋 42
  • 宿の特徴:北は蒲原丘陵、南は駿河湾に挟まれ、東は富士川右岸に接する。元禄期に大津波に襲われて壊滅的被害を受け、北側の山裾に宿替えが行われた。

「駿州の旅日本遺産」というホームページがある。ここに「駿州の旅日本遺産推進協議会」が発行する古地図デジタルマップが 8 枚掲載されている。これは「東海道分間延図」に情報を加えたものだ。「蒲原宿」から「藤枝宿」まであり、ちょうどよいので利用させていただこう。ただ情報が少ないので、もう少し追加することにする。図 2 が古地図、図 3 が現在の地図である。

図2 蒲原宿(駿州の旅日本遺産 蒲原 に情報を追記)
図3 現在の蒲原宿

「蒲原宿」の特徴は、図 2 の古地図に示す様に、山が海に張り出す地形で、街道や宿場が山裾にあることである。北側のさらに高い場所には神社仏閣が並んでいる。図 3 の現在の地図と比べると、配置はほとんど変わらない。「新蒲原駅」以東は埋め立てが進んだようだが、西側は昔とそう変わらないようだ。この「旧街道」は江戸初期にはもっと南側、「新蒲原駅」の南を通っていた。ところが、元禄期の津波で壊滅的な被害を受け、現在の場所に移動したのだが、この場所には「蒲原御殿」があった。

 その話の前に、「蒲原宿」の北西ににある「城山」について少し触れよう。これは天文年間(1532~1555)の始めに今川氏により築かれた城である。ここから眺めれば、山裾の街道は一目瞭然。今川・北条・武田氏などの紛争の最前線だから、極めて重要な城である。永禄 11 年(1568)12 月、「武田信玄」の駿河侵攻の際に、今川氏救援のため北条の援軍が「蒲原城」に入り、「信玄軍」は封じ込めにあって駿河から撤退。翌、永禄 12 年(1569)「信玄」の再侵攻で、「蒲原城」は落城、北条勢や今川諸将は戦死し、以後、城は武田方が掌握した。その後、天正 10 年(1582)に織田・徳川連合軍がここを攻め落城、廃城となる。そして、同年「徳川家康」は「蒲原」に「御殿」を造営するのである。

 この「御殿」は「織田信長」の「富士遊覧」(「浮島ヶ原御覧」)の際、「信長」を歓待する目的で造られたという。このシーンは大河ドラマ「どうする家康」にも描かれていた。「御殿」のあった場所は現在の「若宮神社」周辺ではないかと考えられている。「蒲原宿」の北側の山は「御殿山」と呼ばれるが、「御殿」で使われる薪などを採った場所であったことからその名がついたらしい。「蒲原御殿」は将軍家上洛の際の宿泊場所とした使用されたが、「三代将軍家光」を最後に上洛の必要性がなくなり使用されなくなっていた。そこで、この地に街道を移動させたのである。「御殿山」は現在、桜の名所として有名である。

「蒲原宿」に入って驚いた。昔の町並みが残っているのである。これまで、すっかり変わり果てた宿場町を見てきたが、ここは違う。「蒲原宿まちなみの会」によれば、「江戸末期から昭和初期にかけての
町家(洋館 3 棟も残る)をはじめとした歴史的建造物が残る。歴史的建造物の残存度は全戸数の 3 割程度であるが、山側に街道が移ったため国道が通らず、道筋や町割りが残り、また車の通行も比較的少なく穏やかな歴史的雰囲気を感じさせるまちなみとなっている」とのことである。木造建築で 3 割も古い建築物が残っているのは素晴らしい。

 まず「渡部家土蔵」「佐藤家住宅」と続く。

写真1 木屋の土蔵(渡部家土蔵)
1839 年に建築。三階建ての土蔵は珍しく四方ころびという耐震性に優れた技法で建築されている
写真2 なまこ壁と「塗り家造り」の家(佐藤家)
壁が特徴的で「塗り家造り」といい、防火効果が大きく昔から贅沢普請と呼ばれた
写真3 蒲原宿の町並み(問屋場跡付近から東向きで撮影)

  宿の中程に小川が流れている。そこを左に入ると広重の「蒲原夜之雪」の記念碑があるとのこと。碑の上部にあの極めて有名な絵のレリーフがはめこまれている。

写真4 「蒲原夜之雪」記念碑
写真5 碑の上部に描かれた蒲原夜之雪

 あたり一面が雪で覆われている。手前を向いた家々の前の道を旅人が行く。遠くに山、道は左に傾斜しており、左端は山か? 素晴らしい絵だが、さあ、この場所はどこだろう? まず、「蒲原」は南に開かれた海辺であり、こんなに雪が積もるのか疑問だ。また街道は山際を進んでいるが、道は平坦である。この絵は少なくとも「蒲原宿」ではないだろう。考えられるのは「岩淵」から「蒲原」への下り道。雪がこれほど積もるかは不明だが、傾斜や家の感じから可能性がある。

 結構人が出ている。みんな川沿いの道を北へ向かって進んでいる。あちこちに看板が出ていた。「かんばら御殿山さくらまつり」。今日は 3 月 31 日の日曜日、コロナ禍で中止されていた「さくらまつり」の二日目なのだ。私も人について会場へと移動する。「八坂神社」と「東漸寺」の間が会場だ。

写真6 かんばら御殿山さくらまつり

 ところが、肝心の「桜」が咲いていない。今年はとても開花が遅い。ここ数年、 3 月半ばに開花する東京の桜も今年はまだ咲いていない。残念ながら桜なしの「さくらまつり」となったところも多かった。会場から再び街道に戻る。途中に「問屋場跡」の説明板があった。

写真7 問屋場跡の説明板

 通りの右側に旅籠屋の「和泉屋」、その向かいが「本陣跡」である。古くは東と西の二つの本陣があったそうで、ここは「西本陣」。

写真8 旅籠屋 和泉屋
天保年間(1830年~44年)に建てられ、安政の大地震でも倒壊を免れた。
二階のくし型の手すりは天保年間当時のまま。平成18年に国登録有形文化財。
写真9 本陣跡 平岡家

 次は明治・大正期の建築物。最初は磯部家、手作りガラスと総欅の家だ。

写真10 手作りガラスと総欅の家(磯部家) 明治 42 年の建築。

 つぎは「高札場」の説明板の先にある「旧五十嵐歯科医院」。

写真11 旧五十嵐歯科医院
大正期以前に町家建築として建てられ、大正3年(1914年)に洋風に増改築。
平成18年(2000年)に国登録有形文化財。

「旧五十嵐歯科医院」の中を見学させてもらった。もともとが町家建築で、故五十嵐準氏が歯科医院を開業。二階が洋風の医院。一階は和室。ちょうど各部屋に雛人形が展示されていた。

写真12 旧五十嵐歯科医院 入口
写真13 御殿飾り雛人形

 これは大正時代に作られた「御殿飾り」の雛人形。お内裏様とお雛様、三人官女が屋根のある御殿の中にいる。古い形の雛人形で、実はわが家にもある。亡くなった妻のもので、二人飾りのみなので子供の頃「三人官女」が欲しかったと言っていた。これを毎年、出しているが、いつもどこにどこを合わせるのかが分からず写真を見ながら組み立てている。また、木材が脆くなっているので力を入れると折れてしまう。セッティングに結構、気を遣う。そんな話を案内してくれたオバサンに告げると「ホントにそうだ」と話が盛り上がった。「髪の毛が抜けて、お雛様がハゲっぽくなるんですよね」と彼女。家のものは昭和だが、これは大正だ。扱いはもっと難しい。でも、とてもいいものである。

 二階に案内してもらうと雰囲気が変わった。洋風の診察室。窓が大きくとってあって、とても明るい。歯科治療用の椅子。現在とほぼ同じ構造である。ただし、材質は鉄でとても重そうだ。

写真14 診察室
写真15 歯科治療用椅子

 その先、左側に「蔀戸(しとみど)のある家」、「蔀戸」とは日光や風雨をさえぎる戸で、分割された戸板を上部に引き上げたり、はね上げて吊ったりして開閉するもの。「町民生活歴史館」になっている。この先で「旧東海道」はいったん左に曲がり、「県道 396 号」と合流する。その角に「西木戸の標柱」があるのだが、気がつかなかった。

写真16 蔀戸のある家(志田家)
醤油醸造を営む商家。安政の大地震の後、建て直しされた。
志田邸で使われてきた江戸~昭和前期までの生活関連品などを展示紹介。

由比宿へ

図4 蒲原宿から由比宿の行程

「蒲原宿」からつぎの「由比宿」までの距離は 3.9 キロ、1 時間弱の行程である。ずっと県道を歩くのでもうひとつ面白くない。この先にあるのが東海道本線の「蒲原駅」で、「蒲原宿」のそばにある駅は「新蒲原駅」である。「蒲原駅」は 1890 年の開業、「新蒲原駅」は 1968 年だ。事情はわからないが、明治に町の中心から離れたところに「蒲原駅」が作られたのだそうだ。やはり、町から遠く不便なので新駅が作られたのだろう。利用客は「新蒲原」が「蒲原駅」を大きく上回るとのこと。

「東名高速」の高架をくぐり、県道から左に入った先が「由比」の町だ。右側に「清酒 正雪」と書かれた煙突が見えてくる。「神沢川酒造場」だ。これで「由比」が「由比正雪」の生地であることがわかる。道の左側に「由比の一里塚」、そして「由比宿東枡形跡」の説明板がある。時刻は 11:38 、私は「由比宿」に入った。

写真17 東名高速の高架をくぐる
写真18 由比一里塚
写真19 由比宿東枡形跡
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