
袋井宿
「むかしこの地、四方丘にして、中に田園ありて袋の如し。その中に大いなる井泉あり。故に名とす」(『東海道名所図会』)。「袋井」の名前の由来である。宿場の概要はつぎの通り。
- 所在地:遠江国山名 (やまな) 郡(静岡県袋井市袋井)
- 江戸・日本橋からの距離:58 里 35 町 45 間
- 宿の規模:家数 195 軒、本陣 3、脇本陣なし、旅籠屋 50
- 宿の特徴:掛川・見付間が四里弱と長かったため他の宿場より遅れて開設された。遠州三山と呼ばれる尊永寺、油山寺、可睡斎の門前町でもあり、その参詣客でもにぎわった
宿場は「天橋(あまはし)」から「仲之川」にかかる「仲川橋」(現、御幸橋)までの 565 m でとても短い。前回、「天橋」のそばにある「東海道どまん中茶屋」まで書いたが、橋を越えて入ったところが「茅町」、そして「新町」「本町」と続く。本陣が三軒あり、一番大きな「新町」の「東本陣(田代本陣)」は現在、「東本陣公園」になっていた。
なお、「広重」の絵だが、今回は茶屋の風景だから、場所を特定できない。


宿場の地図を見ると中央に「法多小路」があるが、ここは現在「県道 275 号」で、南下すれば「JR 袋井駅」、北上すれば「国道 1 号線」に出る。5月 4 日はこの交差点にある「袋井宿場公園」で「歩き旅」を終了した。

つぎの日の早朝、5:41 にここから「歩き旅」を再開した。「静岡」から始まった四日間の旅の最終日である。「見附宿」を経て「浜松宿」まで歩き、新幹線に乗って帰宅する予定だ。早朝出発となったのは、このために「浜松」に早く着きたかったことが理由の一つだが、最大の理由は気温が低い午前中に歩きたかったことだ。今回、初日は曇りだったが、二日目からは晴天が続き、気温がぐんぐん上昇して夏日となった。まだ 5 月の初めであるが、半袖 T シャツ姿でも大汗をかいた。強い日差しへの対策として帽子の後ろに日よけを取り付け、首を冷却するために濡れたスカーフを巻いた。危険なくらいの暑さだった。身体が暑さについていけない。手首の腫れ、マメによる足の痛みもまだ続いていた。
右手に「問屋場跡」の標柱を発見。ここも「掛川」同様、宿場町の遺構はほとんど残っていないようだ。中本陣・西本陣跡はそれと気づかず通り過ぎた。

あっという間に「御幸橋」に到着。5:46、橋を渡って「袋井宿」を出た。
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袋井宿~見附宿

厄除け観音で知られる遠州三山のひとつ「法多山尊永寺」はここより東南 6 キロのところだが、「御幸橋」を渡ってすぐの「川井」に別院があった。更に進むと左手に面白い建物が。「澤野医院記念館」とある。説明板には「旧澤野医院は、澤野家が江戸時代末期から昭和初期までに建築し、使用してきた建物群です。病棟、居宅、渡り廊下、洋館の 4 棟は地域医療を担ってきた建物であり、 貴重な文化遺産として平成 11 年 4 月 23 日に袋井市指定文化財に指定されました」とある。開館は土日祝日の 10 ~ 16 時。今日は 5 月 5 日で祝日だがまだ時間が早すぎる。建物内部は「袋井市観光協会オクユキフクロイ」で紹介されている。


さらに右側に「寺澤家長屋門」。明治元年(1868)に建てられたと伝えられている。

「川井交差点」から「旧東海道」は「県道 413 号」になるが、「木原」でいったん県道から外れる。そこに「木原一里塚」があった。

その先、「許禰(こね)神社」、別名「木原権現社」がある。『東海道名所図会』にも「熊野権現祠」として紹介され、「烏丸光弘」(1579-1638)が京都から江戸に下った時の紀行文『東行記』の「伊原というところに、由ある楼門あり。社一宇見入らる。熊野権現勧請なりと聞きて」という一節を紹介している。かなり古い神社だ。このあたりは、「木原畷」と呼ばれ、武田軍と徳川方の久野氏とが「三方原の戦い」の前哨戦を繰り広げていたところ。境内には「徳川家康」が腰掛けたとされる石があるそうだ。表示されている「徳川家康ゆかりの神社」とはそういう意味なのだろう。


「木原大念仏」の看板を見つけた。これはお盆に行う「念仏踊り」らしい。詳しい様子が袋井市公式ブログ「どまんなかからこんにちは!」に出ていた。なかなか面白そうな踊りだ。

ここまで歩き始めて 30 分であるが、結構、見所があった。この先、旧街道は再び「県道 413 号」となり「磐田市」に入る。「西島」地区で「全海寺下馬地蔵」の前を通る。

「太田川」を渡り、左手の細い道に入っていく。東海道らしい松並木だ。左に「鎌倉時代の古道」の標識が現れる。次第に山っぽくなり、「明治の道」の標識があるかと思うと、左に「江戸の古道」の矢印が現れる。後で調べると、ここは「山ヶ野」というところで、「鎌倉の古道」「江戸の道(東海道)」「明治の道」「大正の道」「昭和の道(国道1号線)」「平成の道(磐田バイパス)」「質屋通いの間道(質道)」の 7 つの道が集まっているところらしい。歩いていたのが「明治の道」で、本来はこの「江戸の古道」を行くべきだったのだろうが、分からないのでそのまま進んだ。





上りきると住宅街になった。そろそろ歩き始めて 1 時間になるので休憩がてら、熱いコーヒーを飲みたいと思った。今朝はホテルの朝食をパスして、パンと豆乳を手早く食べて歩き始めたのでコーヒーを飲んでいない。何か適当な店はないものか? コンビニでもいいいが…と、そんなことを考えながら住宅街の中を歩く。このあたり小高い丘になっていて、右を見ると下の方に大きな道路(県道 413 号)が走っており、いろいろ店がありそうだ。だが、歩いている「旧東海道」では店をほとんど見かけない。
右手に「大久保坂 鍋島公陣屋」の標識を見つけた。今はなんの変哲も無い坂だが、このあたりはかつて交通の要所で街道筋の取り締まりの為に陣屋が置かれていたらしい。


坂を下りると「従是西見附宿」の標柱があった。狭義の宿場は東西にある木戸・見付・番屋・枡形の間だが、『東海道分間延図』ではつぎの「行人坂」の先に「御料表示杭」が描かれているらしい。そこから先は「見付宿」の領分だったのだろう。

その「行人坂」の説明板が県道と出会う手前にあった。このあたりに「山伏(行人)」がたくさん住んでいたのでこの名がついたという。県道に入って少し歩いた後、右側の小道に入る。しばらく進んで「秋葉の常夜灯」を過ぎると下り坂となり、少し広い通りと合流する。その角に「東木戸跡」の標柱を見つけた。7:12 私は「見附宿」に入った。残念ながらここまでの間、コーヒーを飲める店を発見できなかった。




