
宮宿(熱田宿)
「宮宿」の概要はつぎの通り。
- 所在地:尾張国愛知郡(愛知県名古屋市熱田区伝馬 1丁目など)
- 江戸・日本橋からの距離:88 里 35 町 7 間
- 宿の規模:家数 2924 軒、本陣 2、脇本陣 1、旅籠屋 248
- 宿の特徴:熱田神宮の門前町として古くから栄え、近世は名古屋城の入口として、また宮の渡しの渡船場を有する宿場町として、東海道最大の規模を誇った。また、伊勢参宮の人々でも大いににぎわった。
「旧東海道」最大の宿場町なのだが、残念なことにほどんど遺構が残っていない。戦災と戦後復興、道路敷設により街道や町は分断されたという。「宮の渡し」つまり「七里の渡し」については、現在、かつての船着場跡に常夜燈が復元され「宮の渡し公園」として整備されているが、あとはこれといったものがない。昔の町並みはどうなっていたのか? それを知る手立てが「東海道分間延絵図」である。ところが入手出来る図版は解像度が低く、文字が読めない。探していると「名古屋歴史ワンダーランド」というホームページに行き会った。高精細な地図に書き込みが加えられている。ところが、掲載されているところは部分的であるため、「宮宿」の全体像がわからない。そこで、入手できる「東海道分間延絵図」に高精細な部分図を貼り付けてみたのが図 2 である。これを見ながら、現在の「宮宿」をたどってみよう。

では、前回の終了地点「裁断橋跡」に戻ろう。この橋は「精進川」に架けられていた。この川は現在の「新堀川」だが、明治 43 年の河川改修によって東に移動した。もともとあった川は埋め立てられ、橋は「姥堂」境内に縮小して復元された。この「姥堂」は「法順聖人」が 1358 年に創建したと伝えられるものだが戦災で焼失してしまっている。
その先の左側に「鈴之御前社(れいのみまえしゃ)」がある。「熱田神宮」の場外末社で「天鈿女命(アメノウズメノミコト)」を祀る。図 2 の古地図で街道の右手に「鈴宮」と描かれているのがそれだが焼失してしまい、戦後現在の場所に遷座されたものである。

写真 2 は「伝馬 1 丁目 4」の通りの様子で、古地図では脇本陣があった辺りだ。残念ながら標柱などは一切無い。

その先で道は南に折れるが、「国道 55 号線」の広い道路で分断されてしまっている。少し北側に戻って陸橋を渡る。国道の先には「あつた蓬莱軒」。ひつまぶしの店で土曜日のお昼時とあって、順番待ちの人でいっぱいだった。その先、右側に西山浄土宗の寺院「宝勝院」。

さらに進むと「宮の渡し公園」の前に出る。すぐ眼に付くのが、「常夜灯」と「時の鐘」だ。「常夜灯」は寛永 2 年(1625)、犬山城主「成瀬正房」が「熱田須賀浦太子堂(聖徳寺」)の隣地に建立したものを風害で破損したため承応 3 年(1654)に現在の位置に移したが火事で焼失、再建されたもののすぐ荒廃してしまい、昭和 30 年(1955)に復元。「時の鐘」は延宝 4 年(1676)に尾張藩主「徳川光友」の命で作られたものを昭和 58 年に復元したものだ。


ここから次の宿駅の「桑名」までは舟運となる。『東海道名所図会』では「宮宿」について次の様に説明している。「熱田宮の略訓なり。鳴海駅まで一里半。浜辺は桑名渡口の船着にして、領主の監船所あり。同じく海荘(はまやしき)等あり。熱田宮の浜鳥居、高櫓の神灯は、海上渡船の極(めあて)とす。これより名護屋(なごや)へ北の方、町続き五十町なり」。「七里の渡し」とは、「宮宿」と「桑名宿」を結ぶ航路の距離が七里(27.5km)であったことから名付けられたもの。このルートはすでに鎌倉・室町時代から利用されていたらしい。図 2 の古地図には街道の先に「浜鳥居」や東西二つの「浜屋敷」が描かれている。
広重の絵のテーマは「熱田神事」。赤い鳥居の前を祭りの馬と一緒に半纏を着た人々が走っている。これは飾り付けられた馬を神社に奉納する「馬の塔」という神事の様子だとされる。左に家が描かれているので、街道筋なのだろう。鳥居は「浜鳥居」の可能性がある。とてもダイナミックな図柄である。
さて、時刻は 12:34。ここで「池鯉鮒宿」からの「歩き旅」はゴール。歩行距離は 23.6 キロ、時間は 6 時間 24 分だった。まだ、新幹線の時刻まで時間があるので「熱田神宮」へお詣りしていこう。
熱田神宮

「熱田神宮」の境内はとても広い。メインとなるのは北側の「本宮」だが、南西にある「別宮八幡宮」を始めとして多くの境内末社がある。正門は南中央だが、私は「国道 22 号」を北上して西門から入った。かなり雨が強くなってきた。南北の参道に出会ったところで左折し、「大楠」の前を通る。樹齢は 1000 年を越えると伝えられている。

この先、鳥居を潜ると「本宮」の前に出た。多くの神社がそうであるようにセンターが参道から外してある。雨の中、多くの人がお詣りしていた。

主祭神は「熱田大神」で三種の神器の一つである「草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)」を御霊代(みたましろ)・御神体としてよらせられる「天照大神(アマテラスオオミカミ)」のこと。「草薙神剣」は別名を「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ」といい、「素戔嗚命(スサノオノミコト)」が出雲国で八岐大蛇を退治したとき、蛇の体内から出て来た剣だとされる。スサノオはこの剣をアマテラスに献上し、後の「天孫降臨」では「ニニギノミコト」に託されて地上に降りる。そののち、東征に向かう「ヤマトタケル」に託される。「草薙」という名前の由来は賊から火攻めにされた「ヤマトタケル」がこの剣で辺りの草をなぎ払って難を逃れるところから来るのだが、この辺りの話は「旧東海道歩き旅(20)」にすでに書いた。「熱田神宮」の「熱田」の名前の由来もこの「草薙剣」と関係がある。『東海道名所図会』では、「草薙の宝剣を桑の枝に懸け置きたまうに、夜々光あり。側の杉の梢に光燃え上がりて、その下の田に焼け倒れ、田も熱かりければ社の名に呼ぶとなり」と説明がある。
時刻は 13 時をまわり、神社を出て「神宮前駅」から名鉄で「名古屋駅」へと向かい「浜松宿」からの 4 日間の「歩き旅」を終了した。

