旧東海道歩き旅(21)府中宿~丸子宿(2024.4.1・5.2)

図1 安藤廣重「東海道五十三次 府中 安部川」

 2024 年 4 月 1 日 11:54 に「府中宿」の「東見附跡」に着いた。図 2 に古地図、図 3 に現在の地図を示すが、「東見附跡」の表示板は「旧東海道」と「国道 1 号線」が交差するややこしい場所にある。図 2 と図 3 を比べると、昔とほとんど通りが変わっていないことがわかる。写真 1 は「府中宿」に入ってすぐの「横田町東」の交差点であるが、残念ながら宿場町の風情はない。なにせ「静岡市」の中心街である。昔の建物が残っていると期待する方が間違っていよう。

図2 府中宿古地図(駿州の旅日本遺産 府中 に情報を追記)
図3 現在の府中宿(旧東海道は青破線、歩いたコースは青実線。ほとんど旧東海道を歩くが一部間違っている)
写真1 府中宿(横田町東交差点)

「府中宿」の概要はつぎのとおり。

  • 所在地:駿河国安倍郡(静岡県静岡市葵区伝馬町など)
  • 江戸・日本橋からの距離:44 里 24 町 45 間
  • 宿の規模:家数 3673 軒、本陣 2、脇本陣 2、旅籠屋 43
  • 宿の特徴:家数では東海道最大で広大な宿場町。駿河国府のあった場所で室町期に今川氏が館を作り、江戸期には徳川家康が駿府城を築いて、隠居後の居所とする。西方に安倍川があり、安倍川餅 が有名。

 右側に神社があったので立ち寄ってみる。「西宮神社」とある。境内の説明板には、創建年月は不詳で、『駿河国新風土記』に「左口社恵比寿神社」と書かれることが記されている。『東海道分限延図』には「左口神」とある。目立つのは懸魚に鶴が使われていること。あまり見たことがない。祭神は「事代主命」「猿田彦命」「保食神」「菅原道真公」の四柱。「事代主命」なので「大国主」「恵比須さん」である。境内の桜は、これまで歩いてきた中で一番花が多いがまだまだだ。

写真2 西宮神社社殿
写真3 西宮神社境内の桜

「伝馬町」に入る。「伝馬町」には上と下があったが、ここに「本陣」「脇本陣」「問屋場」が集まっていたようだ。「上伝馬町」は現在「新静岡駅」があるところで賑やかな場所だ。

写真4 伝馬町東交差点
写真5 下伝馬本陣・脇本陣の碑
写真5 上伝馬本陣・脇本陣の碑

 時刻は 12:20、「旧東海道」は「江川町交差点」から「江川町通り」を南下し、「呉服町」で西に入っていくが、この日はここまでとし、ビールと昼食のあと、ちょっと「駿府城」を見学しようと思う。ただし、新幹線に乗って帰宅の予定であり、それほどゆっくりとは見物できない。

「二ノ丸橋」から「駿府城」の中へ入る。ソメイヨシノはまだ早いが、ジンダイアケボノが満開だった。「駿府城」には天守がない。慶長期の天守は、1607 年の築城開始と同時に建てられたが、同年に火災で焼失。すぐさま再建され、慶長15 年(1610)に落成したが、寛永12 年(1635)に再び火災により焼失し、再建されず天守台だけが残されたとのこと。

写真6 二ノ丸橋
写真7 二ノ丸橋たもとのジンダイアケボノ
写真8 駿府城の碑
写真9 二ノ丸のジンダイアケボノ
写真10 ソメイヨシノはまだちょっと早い
写真11 二ノ丸橋から西へ

 この日はここまで、「駿府城」をあとに「静岡駅」へと向かい、新幹線で帰宅した。

「府中宿」~「丸子宿」

 一ヶ月後、私は再び「静岡」に入った。前泊して、5 月 2 日から「歩き旅」を始める計画だ。今回の最終目的地は「浜松」。約 100 キロを三泊四日で歩く予定である。5 月 1 日は大雨で、「静岡」に入るとだいぶ小雨になっていたが、夜の間も雨が降っていたようだ。夜が明ける頃には雨は上がっていたが、まだどんよりした空模様だった。ホテルの窓から、来た方向とこれから進む方向の写真を撮った。

写真12 ホテルから東の方向を望む

 中央に見えている低い山は「日本平」で、右側の海と接するところは崖になっていてここに「久能山」がある。

写真13 ホテルから西の方向を望む

 こちらは西である。正面に海に突き出た山がある。その手前が「安倍川」である。中央の山は「満観峰」、左には谷があって、さらに「花沢山」で高くなる。「新幹線」や「東名高速」、「国道 150 号線」はこの「花沢山」の下のトンネルを走る。一方、「国道 1 号線」と「旧東海道」はもっと北の「宇津ノ谷」を通っている。なお、「花沢山」の向こう側の海辺の町が「焼津」である。

 8:00 に前回のゴール地点「「江川町交差点」から「歩き旅」を再開した。図 3 に示したように、「高札場」のところで左折すべきところを、誤って更に進んでしまったが、それ以外は「旧東海道」を歩いている。30 分後に「弥勒」に到着。すでに「府中宿」を離れている。

写真14 弥勒の道標

 この「弥勒」であるが、慶長年中、ここに「弥勒院」という名の山伏が還俗し開いた寺があったことに由来するという。山伏が「安倍川」の河原で旅人に餅を売っていたことから「安倍川餅」が生まれたらしい。昔は多数の店が軒を並べていたが、現在、一軒だけ残っている。それが「石部屋(せきべや)」というお店だ。木曜日は定休日なので写真 15 の状況。その隣に「安倍川義夫の碑」がある。

写真15 石部屋
写真16 安倍川義夫の碑

 この碑は財布を落とした客に財布を届けたという正直な川越人夫の顕彰碑である。客が礼金を支払おうとしたところ「拾ったものを落とし主に届けるのは当然のこと」と受け取らなかったらしい。昭和 4 年に有志の募金によって碑が建立された。

「安倍川橋」を渡る。昔は川越人夫による「歩行渡」だった。冒頭の広重の絵(図 1)はまさにその様子を描いている。

写真17 安倍川橋

 川を渡ると「間宿」の「手越」。ここは「古代東海道」の駅だったらしい。ここから約 40 分で「県道 260 号線」に入ると「丸子(まりこ)宿」はすぐそこである。昔は松並木が続いていたようで、その名残があった。

図4 安倍川~丸子宿行程
写真18 松並木の名残

  更に進むと 9:21、「丸子池田線」との分岐の角に「丸子宿」の道標を発見。

写真19 丸子宿の道標
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