
広重の絵の場所は「猿ヶ馬場」である。『東海道名所図会』には「堺川より東、左右原山にして、小松多し。風景の地なり。北の方に大岩あり。高さ十丈余、幅二十丈ばかり。猿馬場の茶店に、柏餅を名物とす」と書かれている。「堺川」は遠江と三河の間の川で、前回そこに掛かる「境橋」を渡ったが、すぐの丘陵地帯、ちょうど「国道 1 号線」に入ったあたりかと思われる。もちろん現在、柏餅を売る茶店はない。
二川宿

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宿の概要は次の通り。
- 所在地:三河国渥美郡(愛知県豊橋市二川町など)
- 江戸・日本橋からの距離:72 里 3 町 45 間
- 宿の規模:家数 328 軒、本陣 1、脇本陣 1、旅籠屋 38
- 宿の特徴:三河国の最西端の小さな宿場町
豊橋市によれば、「当初は東西に 12 町(約 1.3 km)ほど離れた二川村(二川村元屋敷)と大岩村(大岩村元屋敷)の二村で一宿分の役目をはたしていました。しかし、両村は離れていたため不都合で、参勤交代などで交通量が増えると経済的に行き詰ってしまいました。そこで、寛永二十年(1643)に吉田藩領から幕府領に移され、翌正保元年(1644)に両村は現在地に移転し、二川と加宿大岩からなる一続きの宿場町となりました」という。小さな宿場町だが、空襲を受けておらず昔の景観が保存・再現されている。東西に長い町並みだが、北側が高く、ここに神社やお寺が建っている。ここでも各家に屋号と職業が表示されていた。



「妙泉寺」「八幡神社」の前を過ぎる。食堂が開いていることに気づいた。昨日の「舞坂」では、食堂を探したが店が閉まっていた。「白須賀」では食堂らしきものも見かけなかった。てっきり、ここも同じだと思って、先ほどコンビニで軽食をとったところだ。「東駒屋」の前を過ぎるとランチの旗まで立っているではないか! 無念極まりない。

旗が立っていた「商家駒屋」だが、「豊橋市二川宿本陣資料館」によれば、「商家『駒屋』は、主屋・土蔵など 8 棟の建物からなり、二川宿で商家を営むかたわら、問屋役や名主などを勤めた田村家の遺構です。豊橋市内に数少ない江戸時代の建造物で、当時の商家の一般的な形式を良く残していることから、平成 15 年 5 月に豊橋市指定有形文化財となりました」とのこと。土蔵を利用してカフェ・ランチの店を開いている。なお、豊橋市では、平成 24 ~ 26 年度の 3 か年で、すべての建物について江戸時代から大正期の姿に改修復原する工事を行ったとのことで、「駒屋」の内部もたいへん美しい。




脇本陣跡の標柱の前を過ぎて、「二川宿本陣資料館」まで来た。「旅籠屋清明屋」が左隣にあり、両方が見学できるようになっている。ところが休館中の表示が。なんと令和 6 年 11 月 2 日まで。今日は令和 6 年 10 月 16 日、あと少しだった。昨日の舞坂宿の脇本陣跡といい、無念が続いている。


こちらは「西駒屋 田村家住宅」で、醸造業を営んでいたらしい。その先、右手に高札場の標柱もあった。


「大岩町」に入る。右手奥に「大岩神明宮」があった。由緒を読むと、もともとここより東側にある「岩屋山」の南山麓にあったが、住民が南の「本郷」に移住したのでそちらに移り、さらに「二川宿」加宿にともない現在地に移ったようである。「豊橋市屈指の大社」とある。


この先、街道の左手に「二川駅」があるが、その手前に「立場茶屋跡」「見附土居」があったようだが、通り過ぎてしまった。
二川宿~吉田宿(豊橋)

「二川駅」を過ぎると、道が大きく北に向けてカーブしている。ここが「火打坂」で、すぐ西にある「岩屋山」から火打石(チャート)が産出されたことが名称の由来であるとのこと。ここには行基作の「岩屋観音」があるが、今回はそこまで行かず坂を上る。

「旧東海道」は「岩屋山」を迂回するように西に折れ、さらに北西に進んで「国道 1 号線」に合流する。ここからまた国道歩きである。この辺りの「1 号線」はかなり高い場所を通っている。このため町の様子がいっこうに分からない。途中、「伝馬町」の看板があった。伝馬の取り次をするのが「伝馬町」だが、このあたりは「吉田宿」の外である。なぜこの名が使われているのかよく分からない。なお、次回述べるが「吉田宿」には「上伝馬町」がある。

途中、三重の塔が目立つ「鶴松山寿泉禅寺」(臨済宗妙心寺派)の前を過ぎる。さらに進んで、「東八町」の交差点で国道から離れると、そこは「吉田宿」の入口である。時刻は 14:55 、「火打坂」の交差点から 1 時間 50 分歩いたことになる。


