第 14 回のぐるっとウォーキングは前回ゴールしたいすみ市の「三門(みかど)駅」から、「太東崎(たいとうさき)」を経て「九十九里浜」に入り、「上総一ノ宮駅」そばの「玉前(たまさき)神社」にお詣りした後、長生村の「一ツ松海岸バス停」まで歩くというものだ。地図で分かるように今まで海岸線を走っていた JR が「東波見(となみ)駅」を過ぎると海岸から次第に離れていく。「上総一ノ宮駅」をすぎるとかなり内陸になるので、基本海岸線歩くこのウォーキングでは駅まで歩くのがたいへんになる。そこで、今回は小湊バスの「一ツ松海岸バス停」まで歩き、そこから「茂原駅」までバスに乗ろうという計画だ。

2022 年 4 月 4 日、8 時 15 分に「三門駅」に到着、北に向けて歩き始める。国道 128 号線をしばらく進むと「夷隅川」に出る。「江東橋」を渡ると「関東ふれあいの道」の道標があった。今回のコースの前半はこの「関東ふれあいの道千葉(15)九十九里の砂を踏みしめて歩く道」を歩くことになる。道標に従い東に、川に沿って歩き始めた。対岸(南側)が見えている。椰子の木が植えられ、いかにも南国風だ。大原から続く砂浜である。「大原」「三門」「長者町」と駅にして 3 つ分砂浜が続く。そして夷隅川から北は再び山が海に張り出す。これが太東崎である。しかし山の張り出しはこれが最後で、その崎は延々と砂浜が続く九十九里浜である。




「太東崎」は消波ブロックが並べられ、その内側が公園になっている。南側は砂浜である。遠くに断崖絶壁が見えるがあれが前回歩いてきた御宿の崎の海岸だろう。この日、海は荒れていた。波が次々と打ち寄せてくる。北側は消波ブロックに上部工が設置されている。遊歩道というわけではないだろうが、先まで歩けるようだ。ただ、時おり波が打ち上げているのでさすがに歩くのは止めにした。岬の山側には柵がほどこされていて、そこが「海浜植物群落」のようだ。大正九年にわが国の天然記念物第 1 号に指定されたとのこと。残念ながらまだ早いのか咲いている花は見つけられなかった。





「太東崎灯台」のある岬の上部に上ろう。少し内陸に向けて歩くと灯台への道に出る。「関東ふれあいの道」の道標がいたるところにあるのでとても分かりやすい。坂道を上ると白亜の灯台があった。トイレもあり、公園としてよく整備されている。岬の先に出ると面白いものを見つけた。電波探知機の遺構と機関銃座跡だ。実はここに帝国海軍の電波研究所が建設されていた。灯台への道はもともと電波研究所のためのものであり、その跡地に太東村が灯台を設置し民生活用したとのことである。「大房岬」「館山」に続いて、ここも戦争遺跡なのだ。



岬から下りると「雀島」の道標があった。しばらく北西に進み再び山の方向へと歩くと海岸に出る。この「雀島」だが、以前に来たことがある。このそばに「ワイルドキッズ岬オートキャンプ場」があり、昔、子供達を連れてキャンプしたのだ。キャンプ場から藪を抜け「雀島」の浜に出た記憶がある。なかなか素晴らしい光景だ。この「雀島」だが、角度を変えて見ると穴が開いている。だいぶ海食が進んでいるようだ。
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ここは魚釣りの絶好ポイントで、この日も多くの釣り客が訪れていた。ここも消波ブロックの上部工が続いていて、その上で釣りをしている人もいる。

この先、「太東漁港」に出る関東ふれあいの道ハイキングコースが通行止めで、国道を進み、漁港の方へ右折して、「太東海水浴場」へ入る。おお、九十九里浜だ! 遠くまで見渡せる。ずっとずっと砂浜なのだ! しばらくこの砂浜を歩こう。「玉前神社」に行く予定なので、どこかで海岸を離れる必要がある。「太東海岸」の先は、「釣ヶ崎」「東波見」「一宮」と砂浜が続いて「一宮川」になる。それぞれの浜は突堤で仕切られている。

砂浜はフカフカしていてとても歩きにくい。しかし、波打ち際は砂が締まって比較的歩きやすい。そこで、もっぱら波打ち際を歩くのだが、途中の突堤で内側へと入らざるをえない。釣ヶ崎海岸へ入る 11 号突堤から南と北の写真を撮った。

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どこが歩きやすいかと考えた。砂止めの内側に道路らしきもがあるが、すでに砂に埋もれてしまっている。砂止の上はどうか? ここから歩きやすい。ということで、砂止の上をもっぱら歩いた。ところが、この砂止めも砂に埋もれて見えなくなってしまう。砂の力は怖ろしい。どこかで浜を離れる必要があるので、そろそろ移動しようかと考えながら第 10 突堤まで来た。目を浜にやると異様なものが見えた。

イルカだ! 昨日のニュースで一宮の海岸に多数のイルカが打ち上げられ、サーファーがそれを海に戻したことが報道されたところだ。海に戻せず取り残されたものか、それとも海に戻したイルカが再び打ち上げられたのか? つぎの日のニュースによれば、後者のようだ。

32 頭のイルカが打ち上げられた一宮町釣ヶ崎海岸からいすみ市の海岸にかけて 4 日、7 頭のイルカが死んでいるのが見つかった。一宮町によると、イルカは体長 2 メートルほどのカズハゴンドウの成体。4 日午前 8 時頃に 4 頭が死んでいるのが確認され、午前 10 時に突堤の消波ブロックで 1 頭、午前 3 時 30 分頃には、同じ突堤付近で 2 頭が死んでいるのが見つかった。国立科学博物館は 4 日、6 頭の死骸を検体として茨城県つくば市の研究施設に持ち帰った。漂着の原因などを調査する。32 頭のイルカは 3 日、釣ヶ崎海岸から約 500 メートル南の砂浜にかけて漂着し、3 頭が死んでいるのが確認された。残りのイルカは地元サーファーらが沖に返したが、力尽きて再び漂着したとみられる。
読売新聞2023年4月5日朝刊千葉版
さらに後日のニュースで、2 頭のメスが妊娠しており、一頭は思い肺炎にかかっていたとのこと。メスを守ろうとした群れが浅瀬に迷い込んだのではないかと推測していた。こんなことも起こるのだ。これが自然なのだと改めて認識する。昔、浜に入り込んだ鯨を捕ったという話を思い出した。
さて、浜を離れて「上総一ノ宮駅」を目指す。海岸に沿って走っている「九十九里ビーチライン」を歩く。驚いたことに立派な自転車道が整備されていた。かなり幅が広い。上総一ノ宮駅はかなり内陸なので、左折して田園の中に入る。きれいに碁盤目に整備された田圃が辺りに広がる。最初、地図で見たとき道が碁盤目なのはなぜだろうと思ったが、その理由が解けた。道が碁盤目なのでどの道を通ろうと距離は同じだ。残念ながら、近道はないということだ。


かなり単調なウォーキングを一時間続け、集落のあるところまでやって来た。時刻は 12 時 30 分。そろそろお昼にしよう。国道 128 号が見えるが、少し高いところを走っている。国道のところで段差があるようだ。国道と並行して走る道があったので、こちらを歩く。「房総つけ麺」というお店を見つけ、ここで「チャーシューつけ麺」をいただいた。

少し歩くと「上総一ノ宮駅」に出る。ここから、「玉前神社」は目と鼻の先だ。


「玉前神社」は「上総国一の宮」で玉依姫命を祀る。「一の宮」とは平安時代から中世の頃にできた一種の社格で、その国々において由緒の深い神社、信仰の厚い神社などおのずと序列ができその首位にあたるものが「一の宮」とされたようだ。つまり上総国の第一の神社である。本殿にお詣りしたあと、境内を巡ると「はだしの道」というのがあった。玉砂利を敷き詰めてあって、ここをはだしで歩くと御利益があるとのこと。立て札には「一周廻りて無垢となり、二周廻りて気を入れて、三周廻りて気を満たす」とある。つまり 3 回廻ると幸運が訪れるというのだが、いやとても痛い! 三周なんか無理だ。一周をなんとか終え、靴を脱いだところまで歩いたが、それも砂利道で、泣きそうだった。

さて、13:30である。「一ツ松海岸」バスの時刻は 15:09 と 15:49 である。できれば早いほうに乗りたい。まあ、なんとなるだろうと歩き出す。

「一宮川」に出る。両側の土手が遊歩道になっているようだ。橋を渡り、左岸の土手を歩いた。道路のあるかぎり土手を歩き、さらに土手を下りて浜のほうに進むとと、一番海岸よりの道路が「九十九里有料道路」となっている。ここは自動車専用道路で歩行禁止の表示が出ている。しかたがないので、一本内側の「飯岡一宮線」を歩く。残念なことにこの道は浜から遠い。どこかに浜に出る道があるのでそれを探すか、このまま歩くか悩みどころである。15:09 のバスにはギリギリという感じで余裕がない。迷ったあげく、このまま内側の道を歩くことにした。決めたのはいいが単調で、疲れがどっと出てきた。途中、右側に立派な建物が現れたら、「幸福の科学」だった。14:55 ようやく「一ツ松海岸バス停」に到着した。間に合った! 浜に出ていたら厳しかったかもしれない。ごれでゴール。バスで茂原駅に向かい、外房線・内房線と乗り継いで帰宅した。歩行距離 25.4 km、歩行時間 6 時間 34 分だった。
