旧東海道歩き旅(33)新居宿~白須賀宿(2024.10.15・16)

図1 安藤広重「東海道五十三次 荒井 渡舟ノ図」

新居関所

 慶長 5 年(1600)徳川家康によって「新居」に関所が創設された。「今切関所」とも呼ばれる。「新居」は「東海道」のほぼ中間にある。西は陸路だが、他の三方が海に囲まれているから、京から来るとここで行く手が海に阻まれてしまう。つまり「箱根」と並ぶ「東海道」のボトルネックなのである。地震で湖の口が開き、東の「舞阪」と結ぶ渡船場ができると、「新居」は陸・海路の中継地となり、交通の要所となった。だから、ここに関所を開設して往来の監視を行ったのは極めて自然なのだ。ところが問題があった。ここは津波・高波、強風によってたえず地形が変化してきた場所だったのである。このため関所の場所は二度変わっている。最初はもっと東、「今切」の砂嘴部に設けられたが、元禄 12 年(1699)に高潮で流される。その後、約 500 m 西に移転したが、そこも宝永 4 年(1707)の地震・津波で倒壊してしまい、翌年、今の場所に移ったらしい。

 関所の跡が「湖西市」によって復元されている。市のホームページに「現在に残る建物(『面番所』)は、嘉永 7 年(1854)の地震でそれまでの建物が倒壊したあと、安政 5 年(1858)までに再建されたものです」とあるから、ここでもまた災害にあったようだ。明治 2 年(1869)に関所は廃止されたが、明治~昭和にかけて学校や町役場として使われ、当時の建物が日本で唯一そのまま残る関所としての歴史的価値が高く評価されて、大正 10 年(1921)国の『史蹟』に、昭和 30 年(1955)には改めて国から『特別史跡』に指定されて今に至っている。

 国道の右側に駐車場、その先に料金所がある。入っていくと正面に「面番所」の建物がある。靴を脱いで中に入る。ここは関所の役人が控えていたところで、人形や様々な道具類を置いて、中の様子を再現している。

写真1 新居関所面番所(東側)
写真2 新居関所面番所内部
写真3 新居関所見取り図

 関所の見取り図があった。赤い部分が面番所で、その南東に船着き場がある。「舞坂宿」から舟で着くと、外には出られずに囲いの中を通り、「面番所」の前の広場に出る。ここで取調が行われ、それが終わると左の「大御門」から出ていくというシステムである。出た所が宿場町になっている。写真 4 は南側から「面番所」を撮ったところだが、この写真の右側が船着き場になっていたようだ。

写真4 新居関所(南側)

 こちらは「大御門」。出た所に「高札場」が再現されていた。ここから「新居宿」に入る。

写真5 大御門
写真6 高札場の再現

新居宿

 宿場の概要はつぎの通り。

  • 所在地:遠江国敷地郡(静岡県湖西 (こさい) 市新居町新居など)
  • 江戸・日本橋からの距離:68 里 34 町 45 間
  • 宿の規模:家数 797 軒、本陣 3、脇本陣なし、旅籠屋 26
  • 宿の特徴:浜名湖西岸に設置された新居関所に隣接する宿場。

 関所の西側に宿場のメインストリートが伸びる。直ぐ左に「旅籠紀伊國屋資料館」がある。

写真7 旅籠紀伊国屋資料館
(出典: in Hamamatsu.com https://www.inhamamatsu.com/japanese/culture/kinokuniya-museum.php)

 オジサンに詳しく説明して頂いた。かつてこのあたりには旅籠が 20 数件軒を並べていたらしい。その中のひとつがこの「紀伊国屋」で、図 2 の赤で囲んだところである。屋号の「紀伊」が示すように御三家の紀州藩との関係が深く、江戸時代中期の元禄 16 年(1703)には紀州藩の御用宿となっていたようだ。その後、昭和戦後に廃業するまで約 250 年、旅館業を営んでいる。建物は明治初めの再建だが江戸期の雰囲気を残している。平成 13 年(2001)に解体修理が行われ、資料館として公開されている。中にはいろいろなパネルが展示してあって、とても勉強になる。

写真8 旅籠紀伊国屋資料館の内部
写真9 紀伊國屋資料館二階座敷
図2 幕末期の新居宿の町並み

「東海道分間延図」の「新居宿」が展示されていた。右端に船着き場と関所が描かれている。関所から西に伸びる通りは南に折れ曲がる。その角あたりに本陣が三軒あったようだ。その後、しばらく南下を続けた後、西に曲がったかと思うとすぐまた南に向かう。このあたりが宿場の端となる。

図3.東海道分間延絵図 新居宿(資料館のパネルより)

「舞坂」からの航路も説明されていた。「弁天島」の北側を通っている。訪れた「弁天稲荷」も描かれている。このあたり、盛り上がった地形であり、砂嘴の上の歩いてきたことがわかる。

図4 新居関所船着き場から舞坂までの航路(資料館のパネルから)

 ここで冒頭の広重の絵(図 1)を見てみよう。「舞坂」側から「今切」を舟で渡っているところである。正面右に見えるのは「新居関所船着き場」だ。

 パネルの中に「飯盛女」についての記述があった。「宿場のなかには旅人の接待を行う飯盛女を置いたところもありました。新居宿でも旅籠の経営維持や宿財政の助成を目的に、何度か飯盛女を置くことを願い出ましたが実現しませんでした。おそらく新居が関所の所在地として特別な土地柄であったことによるものと思われます」と書かれていた。これは「舞坂宿」も同じだったらしい。「御油宿」「赤坂宿」のところで書こうとおもうが、飯盛女を置いたこれらの宿は大繁盛だったらしい。

 資料館を出るとき、オジサンから「近くに芸妓置屋の「小松楼」があるのでお時間があれば立ち寄ってください」と声をかけられた。そちらへ回ってみる。「飯盛女」が禁じられていたのに芸者置屋とはこれいかに? と首をひねりながら通りを折れると、古風な建物があった。二階が大きく開かれた構造で、この手すりにキレイなオネエサン達がしなだれかかって客を誘っていたのだろうか。

写真10 小松楼町作り交流館

 中に入ってもらったパンフレットを見て、先ほどの疑問が氷解。「明治末期から昭和 20 年代前半まで芸妓置屋兼小料理屋を営み、当時の面影を今に伝える憩いの場」と書かれている。この「旧東海道」から一本裏に入った通りは、明治後期から戦前までは歓楽街として栄えていたようだ。「最盛期には芸妓置屋が 11 軒、カフェやバーなどもあり、芸妓は 60 ~ 80 人居た」とある。江戸時代ではなく明治以降のことだったのである。二階は座敷になっていて宴会等に使われていたらしい。芸妓の写真も飾ってあった。

写真11 小松楼の二階座敷

 時刻は 14:50、ここで第一日は終了。「浜松宿」からの歩行距離は 22.2 キロ、6 時間 22 分だった。「新居町」の駅から電車でホテルのある「弁天島」まで戻る予定だが、まだ時間があったので休憩がてら前のカフェ「きんたろう」に入り、美味しい御菓子とコーヒーをいただく。明日は「新居宿」から歩き始めて、「白須賀(しらすか)」「二川(ふたがわ)」を経て「吉田宿」(豊橋)まで歩く予定なのだが、天気が悪くなるとの予報である。大雨にならなければよいが…と空を見る。

新居宿~白須賀宿

図4 新居宿~白須賀宿行程

 翌10 月 16 日、再び「新居町駅」に戻ってきた。天気予報通り、今朝は小雨が降っている。傘を差してスタート地点の「新居関所」へ向かう。少し雨が強くなってきた。傘だと前面が濡れてしまう。持ってきたレインウェアを着ようと関所の駐車場の屋根のある休憩所で着替えをする。半袖の T シャツの上にレインウェアのトップス、下はズボンの上にレインパンツを穿いた。これで雨対策は万全だ。8:17、「新居関所」をスタートする。

 昨日の「紀伊國屋」の前を通り過ぎる。本陣は三つあったはずだが、最初の二つには気づかなか。角を曲がったところにある「疋田八郎兵衛本陣跡」は写真 12 の様にや石の標柱が立っているだけだった。

写真12 疋田八郎兵衛本陣跡

 その他に特にめぼしいものは見つけられなかった。雨の中なので見落としている可能性もあるが、関所の西の通りの賑わいに対して、南北の通りは店もなく住宅街化している。宿場の最南端に「一里塚」があったのだが、説明版が立っているだけである。角を曲がると「棒鼻跡」で「新居宿」はここまでだ。

写真13 棒鼻跡

「新居宿」を出て西に進む道は山際を通っている。昔はこの辺りが海岸線だったのだろうと想像しながら歩く。ところどころに松並木が続いていた。

写真14 旧東海道松並木

「棒鼻」から約 40 分、単調な道を歩いていくと「白須賀宿」のマップがあった。

写真15 白須賀宿マップ
写真16 火鎮神社の鳥居

「新町」まで来たようだ。隣には「火鎮神社」の鳥居と階段がある。この神社、徳川家康が負け戦で匿われた場所だという。もともとこの先の「元町」の辺りに宿場町があったらしい。ところが、宝永四年(1707)の地震・津波によって大半の家が流されてしまい、翌年、坂の上に所替えをした。この坂、「潮見坂(汐見坂)」という。坂の上から「遠州灘」が見える名所であるが、歩く者からすると「難所」の一つなのだ。その上り口までここから約 30 分である。

写真17 白須賀宿元町

「元町」の様子である。宿場町らしい風情が少し残っている。高札場跡の石柱もあった。「潮見坂」への分岐に差し掛かる。右折すると緩やかな上り坂になっている。前方に緑の山が見える。あそこを上っていくのだろう。

写真18 潮見坂への道

 坂道を上っていくと、傾斜が急になる。見晴らしのよさそうな所に出たので「遠州灘」を見ようと振り返った。

写真19 潮見坂から遠州灘を眺める

 灰色の海が見えた。天気が悪いのでこんなものだろうと、また坂を上り始める。暑い! レインウェアの中は汗まみれだ。これでも 43,000 g/m²・24 hrs という透湿性が高い材料を使っているのだが、坂道になると汗を完全に逃すことができないようだ。坂の上に無料休憩所の「おんやど白須賀」があると標識に出ていた。そこで休憩しよう。

写真20 無料休憩所「おんやど白須賀」

 時刻は 9:40、「おんやど白須賀」に到着。なかなか立派な建物である。中へ入ろうとしたが、まだ開いていない。オープンは 10 時からなのだ。トイレはと探すが、外にはなさそうだ。入口のところでウロウロしていると、オジサンがドアを開けてくれた。まだ早いが開けてくれるという。ありがたや!

 レインウェア上下を脱ぐと、Tシャツはすっかり汗で濡れてしまっていた。ズボンもかなり湿っている。これだと、なんの為のレインウェアかわからない。トイレを使わせてもらったあと、水分補給と軽食をとる。コーヒーを飲みたいところだが、自動販売機がない。少し先に行かないと自販機がないとのことだった。10時を回って、館内照明がついたので、展示パネルを見て回った。地図があった。現在地が描かれている。すでに台地の上にいる。この台地の南側が西にかけて崖になっていて、その中でも勾配の緩いところを上ってきたことになる。この先、台地上に宿場町が続いているようだ。

写真21 白須賀宿の地図
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