
広重の「岡部」の絵は「宇津ノ山」だ。深い山の谷間と通る街道を旅人が上っている。右側には急な川の流れ。前方には集落がある。上りで川が右だということは、川は「岡部川」で、描かれた地点は「宇津ノ谷」への入り口で「岡部」側だと思われる。『東海道名所図会』には「岡部より十石坂を歴て、湯谷口より坂路なり。これをうつの山という」とある。この「湯谷口」は『東海道分間延図』で「湯谷ノ鼻」と書かれているところの西、現在の「道の駅宇津ノ谷峠 おかべ茶屋」あたりだろう。すると集落は「坂下地蔵堂」のあたりになる。
岡部宿
「岡部宿」の概要はつぎのとおり。
- 所在地:駿河国志太郡(静岡県藤枝市岡部町岡部)
- 江戸・日本橋からの距離:48 里 4 町 45 間
- 宿の規模:家数 487 軒、本陣 2、脇本陣 2、旅籠屋 27
- 宿の特徴:岡部川の左岸に位置する。鎌倉時代から東海道の宿駅として栄えた。丸子宿との間に平安時代から難所として知られた宇津ノ谷峠がある。
図 2 に「岡部宿」の古地図を載せる。「岡部川」を渡る手前に「笠懸松(かさがけのまつ)」の説明板があった。「笠懸松と西住法師」と書かれている。この「西住法師」は有名な「西行法師」の弟子で「岡部」で亡くなった。「岩鼻山」の松のそばにその墓があるという。


「岡部川」を渡ると「岡部宿」の中心部となる。

川を越えてすぐ、「県道 208 号」の左側に「大旅籠柏屋」がある。国の有形文化財で、2 度の焼失を経て江戸時代後期(1836年)に再建され、主屋は歴史資料館となっている。写真 4 が内部。ここより奥は有料だ。入ろうかとも思ったが、「宇津ノ谷峠越え」で転んで捻った手首がかなり痛むのでパス。今夜の宿の「藤枝」まで、先を急ぐことにした。


「柏屋」の隣が「岡部宿」に 2 つあった本陣の一つの「内野本陣」。門塀が再現され、また建物の間取が分かる様にしてある。中央にあるのは昔の井戸だ。


時刻は 12:30、そろそろお昼を食べたい。「柏屋」の奥にレストランがあったが満席、連休なので人が多い。地図を調べると「ゆとり庵」という店がある。行ってみるとお弁当屋さんだった。静岡おでんとタケノコご飯を買って、本陣跡の隣の公園で食べる。

さあ、「歩き旅」の再開だ。「旧東海道」は県道を離れて細い通りに入る。そこにあったのが、「小野小町の姿見橋」の説明板。「小野小町は絶世の美人であり、歌人としても有名であった。晩年に東国へ下る途中この岡部宿に泊ったという。小町はこの橋の上に立ちどまって、夕日に映える西山の景色の美しさに見とれていたが、ふと目を橋の下の水面に移すと、そこには長旅で疲れ果てた自分の姿が映っていた。そして、過ぎし昔の面影を失ってしまった老いの身を嘆き悲しんだと言う。こんな事があって、宿場の人たちはこの橋を『小野小町の姿見の橋』と名づけたという」と書かれている。この話はこの地域の伝承なので真偽のほどは不明。

県道から離れた「岡部宿」の町並みは落ち着いた雰囲気だ。

「旧街道」は再び「県道 208 号」と合流。その手前に「西枡形」があったらしい。「岡部宿」もここまでとなる。時刻は 13:10。
岡部宿~藤枝宿

県道に入ってすぐの右手に「藤枝市観光協会」があり、その隣が「五智如来」公園になっている。



江戸時代、このあたりに「誓願寺」というお寺があり、そこにこの石造仏が安置されていたのだが、明治になって寺が移転したため、ここに移されたのだという。「藤枝」に「田中城」というお城がある。もともと「今川氏」が築いた城で、その後、「武田」「徳川」と城主が変わり、江戸期には「田中藩」が置かれた。城主はつぎつぎと変わているが、「内藤豊前守弌信」の時(1705~1712)、城主が誓願寺の本尊に病気平癒を祈願したところ、願いが成就し、病気が治ったことから、そのお礼として寄進されたものだそうだ。二組あって、後列が田中城主が寄進したもので、前列は明治の中頃に作り直されたもの。私も早く手首が治るように願掛けしてみた。
この先に「岡部宿の松並木」。さらに進むと、左側にドラッグストアを発見。ちょうどいい、ここでシップ剤を買おう! 手首に貼ってみると、だいぶ痛みが和らいだ。願掛けの効果だ!

「国道 1 号」を過ぎると県道から右に分岐する細い道がある。これが「旧東海道」。ここで変な標識を発見。

左は「従是西巌村領」、右は「松平能登守岩村藩領標示杭趾」と書いてある。「岩村藩」とは何だろうか? 説明が書いてある。なんとここは美濃国(岐阜県)の「岩村藩」の飛び地なのだ。享保 20 年(1735)、岩村藩主の「松平乗賢」が江戸幕府の老中に就任すると 1 万石が加増されたのだという。その時、ここ「横内村」が「岩村藩」となり、陣屋が作られたらしい。ここはその境界を示す杭があった場所だった。この先の「朝比奈川」のたもとに「案内板」があった。これによると、飛び地は「朝比奈川」を越えて「葉梨川」の手前まで続いていたようだ。途中、「高札場跡」の標識もあった。


「朝比奈川」さらにその先の「葉梨川」を渡る。


「葉梨川」に沿って「県道 208 号」を進むと、道がカーブして右手に「須賀神社」の鳥居があった。

「水守」の付近で現在は道がややこしく交差するが、昔は一本の道だったようだ。「新護寺」のあたりが「藤枝宿」の「東木戸跡」になる。 14:40 、私は「藤枝宿」に入った。「岡部宿」を出てから 1 時間 30 分経っている。

