
白須賀宿
広重の絵は「汐見坂(潮見坂)」だ。晴れていればこのような青い「遠州灘」が見えるはずだったのだ。

10:10 に「おんやど白須賀」を出発した。雨は止んでいたがいつまた降り出すかわからない空模様である。あまり意味がないので上のレインウェアは脱いで、下だけにした。すぐ左に「見晴台」があるとのことなので立ち寄ってみたが、残念ながらどこが海か空か判別できない。さあ先を急ごう。

図 2 の地図のように、移転後の「白須賀宿」は「東町」「伝馬町」「西町」「境宿」と続く。14 町 19 間の長さがあったという。概要を以下に記す。宿場の中心は「伝馬町」でここに本陣・脇本陣があった。
- 所在地:遠江国浜名郡(静岡県湖西市白須賀)
- 江戸・日本橋からの距離:70 里 22 町 45間
- 宿の規模:家数 613 軒、本陣 1、脇本陣 1、旅籠屋 27
- 宿の特徴:もともと潮見坂の下にあったが津波で流されて台地上に移転。西の境川が三河国との国境。
この「白須賀」という名前だが、『新訂東海道名所図会』(ぺりかん社)に「須賀は東国の俗語に、真砂の聚(あつま)りたるところをいう。洲賀と書くべし。賀は助字〔他の語に附属して、語勢などを助けるもの〕なり。横須賀、蜂須賀もこれに同じ」とある。明らかに津波で移転する前の地名である。
「東町」に入る。宿場町の雰囲気が残っている。

その先、道が大きカーブしているところに出た。曲がり角に「曲尺手(かねんて)」の説明版が立っていた。「曲尺手は、直角に曲げられた道のことで、宿場の出入り口などに造られました。敵の侵入を阻む軍事的な役割を持つほか、参勤交代の際に大名行列同士が、道中かち合わないようにする役割を持っていました。江戸時代、格式の違う大名がすれ違う時は、格式の低い大名が駕籠から降りてあいさつするしきたりでした。しかし、主君を駕籠から降ろすことは、行列を指揮する供頭にとっては一番の失態です。そこで、斥候と呼ばれる下見役に曲尺手の先を下見させ、行列がかち合いそうな時は、格式の低い方の大名一行は休憩を装い、最寄りのお寺に急遽立ち寄りました」と説明されている。江戸時代はいろいろ大変だったようだ。

この先が「伝馬町」。「大村本陣」の跡は美容院になっていた。

宿場の各家には屋号と職業が表示されていて、なかなか面白い。

「東町」から約 20 分で宿場の端の「境宿」まで来た。見物するところはそれほどない。

白須賀宿~二川宿

「白須賀宿」を出ると、「旧東海道」は「県道 173 号線」に合流して、「笠子神社」の前を通る。この先にある「境橋」が「遠江国」と「三河国」の境であり、現在は「静岡県」と「愛知県」の県境だ。「豊橋市」に入る。


橋を渡った後は「国道 1 号線」に入る。図 3 が次の「二川宿」までの行程だが、ずっと国道歩きで面白くない。見る所はほとんどないが、途中に「一里山の一里塚」があった。雨が止んで、暑くなってきた。歩道橋の下の空き地でレインパンツも脱いだ。

途中のコンビニで軽食をとったのち、単調な歩行を続ける。右側に「東海道新幹線」の線路が迫ってくる。この先で国道歩きは終了。12:15 右の横道に入る。

「梅田川」にかかる「筋違橋」を渡り、さらに「東海道本線」の踏切を越えると「二川宿」である。



