引き続き「九十九里浜」を歩いた。前回も書いたように JR 線はかなり内陸を走っているので海岸まで歩くのは大変である。このため、海岸との行き帰りはバスを利用した。つまり、「茂原駅」から長生村の「一ツ松海岸バス停」を小湊バスで、「成東海岸バス停」から「成東駅」までを千葉フラワーバスで移動した。歩行距離は約 20 kmだが、対応する駅の数にすると「茂原」「本納」「永田」「大網」「福俵」「東金」「求名」「成東」と 8 つもある。円の内側と外側の関係だ。

2023 年 4 月 9 日 7:49 に「茂原駅」に到着。すぐにバスがあると思ったらそれは平日の話で、日曜日の発車時間は 8:20 だった。まだ時間があるので、パン屋さんでパンと珈琲をいただく。さて、バスの終点は「白子車庫」である。白子といえばテニスだ。テニスコートがうじゃうじゃある。テニスラケットを持った若者グループが何組も乗り、「一ツ松海岸バス停」で下りたのは私ともう一人だけだった。

東進するとすぐ「一ツ松海水浴場」の立派なゲートがある。これをくぐって進むと、九十九里自動車道路に出るが、トンネルを抜けて防潮堤(土の)を越えると浜に出られる。おお、九十九里浜だ。前回と同様、ひたすら砂浜が続いている。


-1024x768.jpg)
汀のウォーキングを始めよう! 意気込みは良かったのだが、この日は冬型(西高東低)の気圧配置。快晴だが北風がとても強い。北風、つまり向かい風をまとも受けながら、しばらく歩いていたが、ついにたまらなくなって波打ち際を歩くのを断念。もっと内陸、土手付近なら少し風が緩和されると考えた。なるほど、いくらかはマシになった。ただし、土手も概ね南北に走っているので北風を完全にブロックすることはできない。強い風に逆らって歩行を続けると、浜に消波ブロックが並べてられているところに出た。多分、ここで製作され据え付けを待っているところなのだろう。ところが先に進むと、ブロックがすっかり砂にうもれているではないか! どのくらいの期間でこうなったのか? 砂の力のおそろしいことを実感した。


土手の方には海浜植物の看板があった。この辺りで見られる植物の名前が写真入りであがっている。この足下の植物は何だろう? さっきからいっぱい生えている。コウボウムギだ。麦のような穂がある。


一ツ松海岸から幸治海岸、中里海岸へと浜を歩いてきたが、その先の白子海岸で川にぶち当たるので、橋を渡るために内側の県道飯岡ー一宮線のへ戻る。川の手前に公園があり、しばし休憩。公園の先に「国民宿舎 白子荘」と「アクア健康センター」があったのだが、どちらも閉館になっていた。この「アクア健康センター」は砂蒸し風呂で有名だった場所だ。指宿と同じように浴衣を着て寝転がるとその上に熱い砂をかけてくれる。これが千葉でも楽しめたのだが、2009 年に閉館になっている。


「南白亀川」を渡り、しばらく「九十九里自動車道」に並行して歩いていたが、そろそろ浜に出てみようかと右折した。自動車道のトンネルをくぐり、防潮堤の土手を上がると「剃金海岸」に出た。穏やかで美しい浜だ。もう一度、汀ウォークをやってみようと波打ち際まで出る。


-1024x768.jpg)

順調の様に思えたが、北風が強い。さらに悪いことに強風に乗って砂が飛んでくる。それは幻想的な風景なのだが、砂が顔に当たって痛い。とても風景など楽しむ余裕がなくなってきた。これはダメだと浜を諦めて、自動車道の内側に入った。


右側が自動車道である。どこまで続いているか分からないが県道を歩くよりこちらの方がよい。いけるところまで行ってみようと歩き続ける。自動車道に「大網白里市」の看板が出た。「白子町」よ、さようなら! 川に出たので橋を渡るため県道へ戻る。川を渡ると「白里海岸」だ。浜に出てみる。景色が変わらないーこれぞ「九十九里浜」だ!


つぎの真亀川を越えると「九十九里町」になる。まさに「九十九里浜」の真ん中なのだ。11:30、そろそろお昼時だ。この先に「漁師料理の店ばんや」という店がある。安房勝山の「ばんや」と同じような感じだろう。そこでお昼にしよう。県道に「智恵子抄の碑」という看板が出たので、ちょっとそちらに廻ってみよう。

高村智恵子といえば福島だ。この九十九里浜とどんな関係があるのか? 実は智恵子は 8 ヶ月ほど、ここ「真亀納屋」の地で療養していたことがあるのだそうだ。
人つ子ひとり居ない九十九里の砂浜の
砂にすわつて智恵子は遊ぶ。
無数の友だちが智恵子の名をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
砂に小さな趾あとをつけて
千鳥が智恵子に寄つて来る。
口の中でいつでも何か言つてる智恵子が
両手をあげてよびかへす。
ちい、ちい、ちい――
両手の貝を千鳥がねだる。
智恵子はそれをぱらぱら投げる。
群れ立つ千鳥が智恵子をよぶ。
ちい、ちい、ちい、ちい、ちい――
人間商売さらりとやめて、
もう天然の向うへ行つてしまつた智恵子の
うしろ姿がぽつんと見える。
二丁も離れた防風林の夕日の中で
松の花粉をあびながら私はいつまでも立ち尽す。
この詩句が碑に刻まれているーと調子よく書いたが、その時は全く分からなかった。私が見たのは下の写真。左下に碑を建てた由来が書かれている。私はこちら側が表(おもて)だと思い込んでいた。だから裏に回ってみなかった。この碑は「九十九里自動車道」の内側すぐの道沿いにあり、現状ではこちら側が表のようになっている。ところが、よく考えてみると私が表と思った方は海側だ。昔は自動車道などなかった。つまりは浜辺に海を背にして碑が建てられていわけだ(普通そうだろう)。それが自動車道ができ、それに沿って道ができたので、碑の裏から見るようになってしまったのだ。

さて、「智恵子抄の碑」の裏側を見たあと、「ばんや」に向かって歩くのだが、食堂をいくつも発見した。だが、どれも混んでいるのである。そう、今日は土曜日なのだ。「ばんや」の前に出たが、すごい人だかりだ。相当、長時間待たされることになる。別の店を探そう! あっさりあきらめて先に進んだ。
結局、もう少し先の「大漁亭」で「大漁丼」なるものを食べた。「海鮮丼」だ。いろいろんな魚が入っていてまあまあ美味しかった。

さて、時刻は 12:40、[成東海岸」までおよそ 1 時間の距離だ。バスの時間は 14:36 と 15:59 だが、早いほうに十分間に合うだろう。ということで、つぎの「片貝」で再び浜に出た。それまで気がつかなかったのだが、あれだけ強かった北風が午後になると止んでいた。風があるとないとではこれだけ違うものか! 汀のウォーキングがこんなに楽しいとは! ところで、この「片貝海岸」だが、貝が多い。今迄、歩いた浜ではこんなにたくさんの貝は見かけなかった。長い突堤があり、その手前の景色が美しかったのでパチリ。突堤は釣り客が一杯だった。



「作田川」を渡り、「作田海岸」に出てみる。驚いたことに、他の浜に比べて草原が発達している。それに砂浜も他に比べて起伏が豊かだ。乗馬している人を発見。そういえば途中に乗馬クラブの看板が出ていた。乗馬には絶好の環境かもしれない。


つぎの「本須賀海岸」でトイレに行き、バス停に向かう。14:27、バス停に到着。バスの時刻を確認する。14:36 分、ゆうゆうセーフだ。ところが、この時刻表、変なことに気がついた。吹き出しがあって、「このバス停は②番です」と書いてあるのだ。時刻表を見ると真ん中で 2 つに分かれていて、左側がバス停①番乗り場、右側が②番乗り場となっている。つまり、バス停が 2 つあることになる。乗る予定の 14 時代のバスは左側の①番、そしてこのバス停は②番⁈ あああっ…バス停が違う!
なんと下に地図が出ているではないか。「本須賀海岸交差点、至海岸、至る九十九里…」 ①番のバス停は海岸と並行に走る道路の交差点の北側だ。大あわてで、その場所に移動する。今度は緑で「このバス停は①番です」と書かれている。時刻は 14:32 なんとギリギリセーフだった。事情はこうだ。このバスは「成東駅」から出て「成東駅」に戻る巡回バスなのだが、時間によってコースが違うのだ。14 時台は大回りする経路を走る。このため、②の停留所にはよらないというわけだ。というわけで、無事、「成東駅」までたどり着いた。今回の歩行距離は 22.9 m、歩行時間は 5 時間 49 分だった。あと、2 回でいよいよ「銚子」に到着する。


