第 5 回は山越えである。前回書いたように、浜金谷と保田間の国道 127 号の危険なトンネルを避けるために、鋸山に登る迂回路を取ることにしたのだ。鋸山は江戸時代から昭和 60 年まで「房洲石」の石切場であったため、山肌が露出しノコギリのように見えることから「鋸山」と呼ばれるようになった。ここを上り、その先の日本寺の境内を抜けて保田へ行く。そして、保田から岩井まで海岸線を歩く、というのが今回のコースである。


2023 年 1 月 26 日、昨日から最強寒波が来ている。今朝は家の給湯器が凍りついた。寒さを覚悟で浜金谷の駅に 9:10 に到着。快晴だ。気温も少し上がってきているがまだ空気は冷たい。駅から登山道を目指して歩き始める。金谷は「上総国」であり、鋸山を越えると「安房国」となる。

川を渡り、JR の線路をくぐり進むと登山道の入り口に出る。鋸山に登るにはいくつかのルートがある。代表的なものが「車力道」と「関東ふれあいの道」だ。分岐点の中央の階段が「関東ふれあいの道」で、左側の道を進むと「車力道」に出る。「関東ふれあいの道」は山を直線的に登るコースであり、この最初の階段が難関とのことなので「車力道」を選択することにした。

「車力」とは車両類を牽いて荷物の運搬を業としていた者のことである。ここでの荷物は切り出した房洲石である。猫車を使っての運搬道路がこの車力道なのだが、よくこんなところを運んだものだと感心する。分岐点から 30 分ほど登ると「地球が丸く見える展望台」との分岐点に出る。ここを「石舞台」の方へ石切場の中へ入っていく。房洲石の搬出用の通路である「切り通し」を左に進むと「観音洞窟」という石切場跡に出る。



それにしてもスパッと綺麗に石が切られている。どうやって切るのだろうかと考えながら、更に進むと「岩舞台」への分岐点にでる。石舞台は広い掘削場跡で、かつて使われた重機類が残されている。ここで子供連れ(6歳だっと言っていた)の親子に出合った。鋸山は子供でも十分登れる山なのである。

「岩舞台」から元の道に戻り、「関東ふれいあの道」との合流地点をすぎると、「ラピュタの壁」に出る。ここからは浜金谷の町と東京湾が見通せる。富士山が綺麗に見えていた。ラピュタの壁越しに見える海と富士山、さらに富士山のズームアップをカメラに収めた。今日は海がとても青い!


ラピュタの壁から上がっていくと日本寺の北口管理所に着く。拝観料 700 円を支払って中へ入る。すぐにあるのが「百尺観音」だ。昭和 35 年から 6 年の歳月をかけてかつての石切場跡に彫刻されたもので迫力満点だ。

ここをすぎ、左に曲がり階段を上っていくと展望台、更にその先に「地獄のぞき」がある。地獄のぞきの先端から眺望が下の写真。中央に富士山が見えている。左に見える建物はロープウェイの山頂駅である。

ここから大仏のある広場までひたすら階段を下りる。見所はたくさんあるのだが、今日は岩井駅まで行かなければならないので省略だ。この階段、脚にこたえる! 下りの連続階段はとても辛い。

大仏は正式には「薬師瑠璃光如来」で、天明三年(1783 年)に彫刻されたものが原型で、昭和 41 年に 4 カ年にわたって修復されている。大仏に手を合わせ、保田駅に向けて表参道の階段を下りていく。金谷側は急峻なので、ロープウェイなどない昔は保田からこの表参道を使って参拝したのである。

仁王門を出て日本寺を離れ、保田駅を目指して歩く。線路伝いののどかな道である。ようやく、今日の中間点である「保田駅」に到着。浜金谷駅からの所要時間は 2 時間 23 分だった。

さて、ここから後半である。岩井駅まで歩くのだが、時刻は 11:40、ここで腹ごしらえをしておこうと、近くにある保田漁連直営の食堂「ばんや」に立ち寄る。海鮮丼を食べた。おお、魚が厚い!


ばんやから国道 127 号を少し南下すると、「道の駅きょなん」に出る。ここには「菱川師宣記念館」がある。あの浮世絵「見返り美人」の菱川師宣は保田の生まれなのである。記念館の前に「見返り美人の像」があった。


少し歩くと砂浜に出る。「鱚ケ浦」である。その先に小さな島がある。地図で調べると「真珠島」とある。ずっと回っていくと島に渡る橋があるのだが、私有地のため立ち入り禁止となっていた。後で調べると、ここでは昔、真珠の養殖を行っていたのだそうだ。そもそもここは亀ヶ崎という名前なのだ。真珠島が亀の頭、写真の左側の山が甲羅になる。

亀ヶ崎を回った当たりで富士山が綺麗に見えていた。タンカーも通っていたのでカメラに収めた。

さらに進むと、「源頼朝上陸の碑」の方向を示す看板があった。右手の道に入っていく。あった。左側が昔のもの「史跡 源頼朝上陸の地」とある。鋸南町のホームページでは「源頼朝は、治承 4 年(1180年)8 月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、相州石橋山の合戦で敗れ、28 日に同国土肥郷の真鶴岬から小船で脱出し房総へと逃れます。翌 29 日、わずかな供を連れて、安房国猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸しました。竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。源氏にゆかりのある安房の豪族・安西景益は、頼朝を護るため自分の館に招き入れます。頼朝はそこから、房総の有力豪族に使者や手紙を送り味方を募り、勢力を盛り返しました。竜島は頼朝にとって再起の地。武家政権鎌倉幕府の出発点でもあります。上陸したとされる場所は、千葉県指定史跡に指定され、上陸碑が建てられています」とある。この辺りが竜島、堤防が「竜ケ崎堤防」である。

再び綺麗に整備された砂浜に出る。竜島海岸である。向こうに面白い形の島がある。まあるい穴が開いている円月島である。お昼を食べた「ばんや」の辺りからも見えていた。Google Map では、大きい島が「浮島」、円月島が「大ボッケ」となっている。


更に進み「大黒山」を回って行くと左手に写真のような看板を見つけた。「竜宮城水族館跡」と読める。こんなところに水族館。大黒山の斜面の荒れ地である。絵まで書いてある。珍しいもの出くわすのがウォーキングの醍醐味である。

帰ってから調べると、「安房勝山竜宮城水族館と勝山遊園地」という記事があった。さらに「勝山遊園地」!昭和 28 年頃、この辺りは海のテーマパークだったようだ。観覧車も描かれている。

舟藤堤防の先に傾城島という小さな島がある。丁度、その左側に富士山が見え、ツーショットを撮った。

さて、安房勝山を後にして、岩井に向けて歩いて行く。海岸線は断崖絶壁で道はなく、山道を岩井袋漁港に向けて進む。トンネルがあった。ちょっと長いが、この道、車はほとんど通らない。走り抜けなくても大丈夫だ。

岩井袋漁港をすぎ、海岸線を歩くと「岩井海岸」に出る。長い砂浜が続いている。この辺りもリゾート地のようだ。民宿がたくさんある。ずっと砂浜に沿って歩き、展望付きコンドミニアムホテルのところで左折する。更に進んで岩井川を渡り、国道 127 号を渡り、少し左に歩くと岩井駅の入り口に出る。

14:37 分、岩井駅にゴール。保田駅から 10.2 km、歩行時間 2 時間 57 分だった。岩井といえば以前登った事がある「富山」があり、その手前に「伏姫籠穴」がある。伏姫伝説の地なのである。駅の端に「伏姫の像」がある。身体の周りにイルミネーションが巻き付けられている姿は、茨で縛られているようで痛々しい。



